中国の反日意識は主として中国政府(即ち中国共産党)による、反日教育や宣伝による面が大きいが、江沢民時代に強化されたと理解される傾向がある。それに一理はあるが、より大きいのは時間経過、中国の長期戦略や日中間の経済力の変化による面がより大きいと言える。
1. 現在ほとんど回顧されないので、若い人達は抗日戦で勝利して新中国が誕生したと誤解している人達がいる。終戦の1945年8月15日、大陸はまだ国民党政府の時代であり、それから4年余経過した1949年10月1日に新中国成立が宣言されたが、3年9か月に及ぶ日米戦争より長期に亘り内戦が続き、国民党軍に共産党軍が勝利した結果として新中国が成立した訳である。戦前の日中戦争で「日本軍が国民党軍を各地で叩き、戦力を弱化してくれたお陰で、内戦での勝利に貢献してくれた」と毛沢東が語った程であった。
2. 私が仕事の関係で北京、上海、天津等に滞在した1965-7年頃は内戦に参加したり、内戦による災害に見舞われた人々がまだまだ壮年時代であり、若者達も父母達から日本との戦いのみならず、国民党軍との内戦の状況も直接聞いていたので、荒唐無稽な抗日戦争を題材とした映画や演劇はなかった。それは当時再三再四見せられた映画、「紅色娘子軍」、「白毛女」(これ等はミュージカルやバレエにもなっていた)、壮大な戦争映画の「南戦北征」、人民大会堂でもミュージカルとして上演された建国歴史劇の「東方紅」等でも同様であった。
この様な状況はその他多くの映画等でも同様で、主敵は国民党軍、大地主、腐敗官僚等であり、日本軍は脇役であった。
3、一方現実の対日関係では、“日本反動政府”と叫び、日本政府への攻撃的言辞は多かったが、より強調されたのは、日本人民も戦争の被害者だったとして人民同士は友好的であるべきと強調された。何時でも何処でも「友好!友好!」と叫ばれた。仕事で出張すると飛行機のタラップの下まで出迎えの車が来ており、列車の場合はプラットフォームに車が待っており、その他諸々の待遇は、まるで国賓並みだった。1972年9月に国交回復した途端に斯様な待遇はなくなり、「中国も現金なもんだな!」と駐在員同士で苦笑したものであった。逆に日本政府関係者が厚遇を受けることとなった。賠償権を放棄した代わりにより多くの政府間援助(ODA)を獲得し、日本企業の対中投資を大いに呼び込みたいとの思惑が見え見えだった。
4.1978年末に鄧小平による改革開放政策の大号令が発せられても、数年間は試行錯誤の期間で20世紀末に至っても日本とは比較にならない程貧しかったが、5-6年前からマクロ的には経済規模では日本を上回ったと言われるようになる一方、社会的矛盾(格差問題や環境問題)が深刻になり誰の目にも明らかになってきた。特に権貴族(特権階級)の贈収賄等腐敗堕落現象の横行と相まって、社会的騒乱(100人規模以上)が年間20万件も発生する様になり、内的にはより引き締め、外には“敵”が必要になってきているとも言える。政治体制が全く異なる韓国でも類似現象があるのが、対日関係と一種の民族性の類似点とも言えよう。
5.経済的、軍事的により強ければ、自分たちの考え方が周辺国の規範たるべしと思い、逆に弱ければ相手にすり寄って行こうとする傾向があることです(事大主義、中華思想)。その極論が「太平洋は中米両国が分け合って管理していくには十分な広さがある」等と言うことになる。
注:上記はかなり荒っぽくまとめているので、不明点等あれば御遠慮なくご一報下さい。
(2016-3-12記)


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