中国は貧富の格差が激しく、一人当たり平均GDPは、最貧の貴州省では上海の1/10とか1/13のレベルだと報道されたり、解説されたりする。然しこれは一側面を示しているだけで、経済レベル全体の実情を示しているとは言えないと思う。貴州省では生活したことはないが、統計上では上海の1/6程度の平均GDPである、寧夏回族自治区の北端の田舎町には、仕事の関係で2002-4年の丸2年間住んだことがある。自治区の中心都市である銀川は美しく豊かであるが、120km北方のこの辺境の街は優良な石炭を産出する為発展した街である。内モンゴルに食い込むような地勢で、境界にもなっている黄河に架かる大橋は生活したアパートの2階からもよく見えた。
 石嘴山市と言い一応市であるが、総面積が4,700平方kmもあり千葉県に近い面積で人口は当時60万人と言われた。南方を除く三方が砂漠で囲まれ、頻繁に黄沙が発生する地域であった。それでも未開拓地区も多く黄土高原等から移民が続いていて、最近の人口は80万近くまで増加した模様である。市街地は六ヶ所に分散しており、夫々の市街地は3-40km離れており、私の職場や住居のあった石嘴山区の市街地人口は7-8万人で、日本的感覚ではゴミの町と言える。当時外国人は数人しか住んでおらず、日本人は総経理とその夫人を含めて3人、その他時々日本から技術者が出張して来るだけであった。給与等への国や自治区の指導、統制は必ずしも徹底しておらず、レストランや商店の従業員の月給は400元からであった。タクシーは軽自動車で、料金は4kmまで3元であった(北京、上海の1/3以下)。時々食べた麺類の担々麺(タンタン麺)や刀削麺(タオシャオ麺)は1元80銭だったが、私の滞在中に市の物価局の指導で2元に改定された。   理髪店は理髪のみなら3元、毛染めを頼んでも計10元であった。大連や上海の1/10であった。総じて「食」関連価格とサービス料金が安く、工場での大量生産品は大都会とほぼ同等だった。ガイジン用アパートはなく、私が単身生活したアパートは55㎡(2DK)で風呂は電熱湯沸しに依るシャワーのみだが、窓は全て二重になっており、ベランダも金魚箱の如く黄沙の侵入防止となっていたが、家賃は当初270元、途中から300元と格安だった(上海なら1500元以上と思われた)。
 従って、実際の生活レベルは統計的GDPの差ほどは大きくないと言えます。
一方時間経過的に中国の物価を考察すると、3-40年前(北京の王府井でも麺類は20銭程度、ギョーザを食べ白酒を飲んでも一人当たり1元以下だった)とは比較にならない程、インフレは進行してきた。この辺境の街、石嘴山市でも労働者の給与等の上昇同様「食」やサービス料金の高騰は、避けられないでしょう。
中国では、農民の平均的耕作地が日本より狭いことや生産性向上が難しいサービス業の性質を考慮すると、大都市でも更なるインフレは止め様がないのではなかろうか。
 大連の開発区に3年間生活し、旧市内に行くのに軽軌電車をよく利用したが、30km
以上の距離にも拘らず4元(約50円)、タクシーでも70元(900円弱)と日本と較べるとまだまだ安かったが、今後は高騰しそうな予感がします。行政的制御には限度があるでしょう。大連や上海の中流以上のホテル代やレストラン料金は、既に日本と同じ レベルになっており、中国は益々多重・多層経済レベルの国家になりそうである。
柳沢経歴 http://www.nakatsu-bc.co.jp/komon/komon-2.html
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