中国人の典型的な夫婦ケンカについて、何人かの中国の友人に聞いたのを紹介しましょう。
日本では「夫婦ケンカはイヌも食わない」と言われる様に、誰も興味を示さないし、示してはいけないつまらない事柄であり、なまじどちらかの肩を持つようなことを言うと後で恨まれるのがオチであるとの意味合いと、他人に知られるのは恥ずかしいとの「恥の文化」を示しているでしょう。
 一方今でこそ中国でも核家族化が進んでいるが、以前は夫々が大声を上げて相手を非難し、家族のみならず隣近所や場合により通りすがりの人にまでいずれが正しいか賛同を得ようとするとのことでした。幼児教育の基本が明確に自己主張をする様に躾けるのと併せ考えると、正に国民性になっている様に思われます。
 他国との紛争や利害反する問題があると、中国外交部報道官のみならず中国の政治家は日本人の感覚では眉をひそめるような表現で以て、自己主張をしたり、相手国を非難したりするのも、斯様な国民性に根ざしていると思えば理解し易いでしょう。不幸な出来事があると身内や友人は人目をはばからず大声を上げて泣きじゃくりますが、この様な情況は日本では殆んどないでしょう。
日本では感情をむき出しにするのは、恥ずかしい事と言うのが国民性になっているからでしょう。日本の伝統的スポーツであり、神事でもある相撲では勝負に勝ってもガッツポーズはご法度になっているのも同様ではないでしょうか?
 この様な国民性の違いはどうして生まれたのでしょうか?武士道精神の表れだと言う人もいますが、私はもっと古くからの民族性に由来すると確信しています。以前にも触れたことがありますが、やはり土地柄が人柄や民族性を育んできたと思います。四方八方が海に囲まれ、地震や台風等自然災害の多い日本では、相互に助け合い気遣いあう「思い遣り精神」と直ちに立ち上がると言う「勤労精神」が太古の昔から培われてきたと思われます。この様な日本精神に反すると、村八分になる訳です。「村八分」については何人かの中国人に話し、反応を見ましたが「頭では理解できても、感覚的には理解できない」様でした。やはり国は「無限に広がる天下なり」と民族抗争の中で4-5000年の歴史を生きてきた中国人と日本人の民族性の違いになったのではないでしょうか?
 以上の如き民族性に関しては、韓国人は日本人よりも中国人に類似しているようです。最近韓国で長年学び、仕事をし、生活した方の書を読みましたが、その他の風俗習慣を含めて中韓両国の人々の類似点の多さに今更ながら強く印象付けられました。現在の吉林省や遼寧省の大部分は古代には高句麗であり、半島の人々の祖先の居住地でもあり確たる国境線もありませんでした。
 更に慈覚大使円仁の「入唐求法巡礼行記」(AC838-847中国各地を旅し滞在)を読むと、山東省東部には沢山の新羅人が居留し、商売をしていたと記録しています。

 民族抗争、国家間の抗争が続く時代はより中国的であり、世界は狭く抗争をしている時代ではないとの意識が広がれば、より日本的に変化するとも言えるのではなかろうか?


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   柳沢経歴 http://www.nakatsu-bc.co.jp/komon/komon-2.html
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