今年夏には終戦70年になり、安倍首相は新たな談話を出す意向を示されており、政界やマスコミではいろいろ論じていますが、残念ながら核心に迫る論調が見当たりません。
 先ず何故中韓両国のみが、「歴史認識」を問題視し日本は謝り続けよと主張するのでしょうか?国内にも「河野談話や村山談話を継承せよ」とか、法制の基礎である憲法の「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して平和を維持する決意」との規定を変えるなとの意見もあるが、これ等の主張には大きな欠陥があると言えるでしょう。

 中国では今でも戦前の日本軍が如何に残虐非道だったかと、各種記念館を拡充しつつ今なお各種方法で以て教育しており、日本に対しては謝罪し続けよと言い続け、韓国に至っては朴大統領まで「日本には一千年の恨みがある」とまで言っている。斯様な対日態度の国は世界中探しても他では見つからないでしょう。
では何故か?
① 古代文明では我々は日本の先生、師匠であり、日本は学生であり、弟子であるとの強い潜在意識が刷り込まれている。野蛮だった倭国人を我々が教化したのだ。
② 敗戦国であるにも拘わらず、日本は戦後20年余で世界第2の経済大国になっただけでなく、教育、格差是正、モラル向上等非常に高いレベルに達してしまった。口では言えないが我慢がならない。
③ 従って外交関係のみならず、あらゆる分野、段階での日本人との付合いでは贖罪意識を持たせ続け、中国(人)に貢がせたい。
④ 自分達の自尊心は最大限満たそうとする一方で、日本人にも自尊心があることを軽視又は無視しようとしたい。これが果たして妥当なものか追究されるべきでしょう。
⑤ 中国国内の社会的矛盾は増大しており、現政権が揺らぎそうになった時には、予想外な対日態度を採る恐れがありそうである。漁民に偽装した膨大な数の兵力での侵攻等。
一方世界を見渡せば、今なお武力紛争は留まることを知らず、日本の憲法前文の前提条件の認識が誤りであることは明白でしょう。中国だけでも朝鮮戦争では国連軍と戦う為100万の軍隊を派遣し、旧ソ連やインドとの国境紛争、ベトナム侵攻がり、今でも南沙諸島ではベトナムやフィリッピンとの島嶼紛争、日本とは尖閣諸島付近で毎週のように領海侵犯が続いています。
従い「歴史認識」問題は、言葉通りの意味でないことは明白です。昔盛んに唱えられた「非武装中立」論は幻想的平和主義というべきで、歴史に学ぶという事を言葉通りに解釈するならば、日本は学び過ぎて「羹に懲りてナマスを吹く」情況にあると言えるでしょう。軍事力を背景として支配地域を拡大し、現地の人々には人権無視的な行動も行い、災害を与えたことが悪行ならば、この70年間日本は斯様な行動を一切とってはいない。

日本誕生時期にまでさかのぼる日本古代史を概観するならば、稲作や青銅器の伝来、漢字や仏教の導入、法制(大宝律令)、都市計画、建築技術を学び、服装、喫茶の習慣の導入等々義務教育の日本史の教育の場でしっかり教えられていることは周知の通りです。むしろ現代史の中で中国の平和維持や国家の統一維持の教育がどうされているか、多少は日本も学ぶべきだと思わされます。中国では普遍的に初等教育の場でも国旗掲揚には、可愛らしい子供が国旗に向かって敬礼しているのを何度も目撃しましたが、同様のことを日本で行うとしたら、日本の幻想的平和主義者や中国の一部の為政者は何と言うでしょうか?
  日本は中国の良い点を強調し、それに相応しい態度を執るよう要求(褒め殺し)、平和維持(安全保障)面では中国に学ぶべきだと言うのが長年中国と付き合ってきた私の結論です。
以上
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