中国問題に大変熱心だった日本の“左翼勢力”は現在寡黙になっている原因について、先ずは日本周辺の情勢を概観してみましょう。
1、 1960年代の北京駐在時代に沢山の解放闘争映画や舞台劇を見せられたが、解放闘争の相手の主役は、ほとんど国民党軍や大地主であった。後日毛沢東は「日本皇軍が国民党軍と戦ってくれたお陰で、国民党軍が弱体化しその後の解放戦争では解放軍に有利になる影響を残した。 皇軍には感謝せねば!」とのジョークを言ったほどである。然し時代は変化し経済大国の日本に、中国が外交・軍事を含め総合的に取って代り、優位な関係を強化しようとし、主敵は皇軍になった。一方では一国二制度の形式により台湾を抱き込みたいとして、映画やドラマでも最早国民党をあまり攻撃するのは得策ではないとの思惑も見え見えである。
2、  北朝鮮が1950年6月25日半島南側に侵攻し、中ソ両国が支援したが、米国の支援により北朝鮮の野望は達せられず、韓国の独立となった。又ベトナムでは南北に分かれた内戦があったが、実質的には米国と北ベトナムとの戦争だった。1975年北ベトナムはサイゴン(現在のホーチミン市)を陥落させたが、今や米越は友好関係となった。
3、 更にソ連(25年前ロシア、その他に分解するまで)、中国、韓国等は、日本の防衛力は弱ければ弱い程好都合な為、日本の再軍備に反対し続けていた。国内でも社会主義諸国は平和勢力であり、社会主義体制こそ日本のあるべき姿と信奉する政治勢力は、「安保反対」と激しい政治闘争を続けた。特に1960年の同条約改定期には全国的な闘争が展開され、全学連のデモ隊は国会に乱入、女子学生が死亡する事件まで発生した。
4、 現在の中国は恰も日本との戦いで勝利し独立を獲得したとか、韓国でも日本との併合状態からの脱却の独立闘争により、独立国になったと思い込んでいる人々は少なくない。日中戦争での対戦相手は中華民国であり、国のトップは蒋介石だった。毛沢東率いる共産党軍(解放軍)は当時、日本では「共匪」と呼ばれていた。日本の終戦4年程後の1949年10月1日に新中国が誕生した訳で、それまで国民党軍と共産党軍との間で広範な地域で熾烈な内戦が続けられ、勝利した結果新中国になったというのが、歴史的事実である。
5、 一方1945年8月15日の終戦の日より1951年9月のサンフランシスコでの講和会議で米国と平和条約や日米安保条約に調印するまでの6年間、日本はマッカーサーを総司令官とする米国の占領下にあり、支配されていた。その様な状況下で米国の指導により、日本国新憲法が制定され1946年11月3日に公布し、半年後の翌47年5月3日執行となった。戦後も72年も経過すると、当時の状況だけでなく、その後の状況の理解にも大きな誤解が生まれて来るのは止むを得ないかも知れない。特に日本人の大多数が戦後生まれであることや中国、韓国などの意図的な歴史認識をあの手この手で示し続けているのも誤解の原因である。
6、 最近憲法改正問題が論じられているが、本来ならば米国と平和条約が締結された後、速やかに改正への動きを開始すべきであった。何故なら「日本の平和維持は我々米国が請け負い、その代わり二度と我々に歯向かえないようにして置こう」との思惑の下に新憲法が制定されたのは明らかであり、戦後70年も経っても尚且つ日本の安全保障、平和維持を請け負うことに同意する米兵の母親や夫人はどれ程いるだろうか?

 
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