1980-81上海に商社の代表事務所を開設した時は、上海には改革開放の具体的恩恵は
及んでおらず、外貿公司や国営工場等多くの企業責任者は、深圳がいち早く開放政策を
実施しているのを、横目で見て「上海も早く開放すべし」と言いつつ、焦っておられる様子でした。従い、街の情景は旧態依然であり、代表的高層ビルは人民公園(解放前の競馬場)北側の国際飯店や上海大厦等、昔からのホテル位でした。事務所兼宿舎だった和平飯店北楼から毎朝、人民公園北側入口までジョギングしていましたが、往復3kmで、今の様な派手さはなかったが、風情がありました。参観する日本人は少ないがお薦めポイントを若干紹介しましょう。インターネットで検索すれば、より詳しい情報があります。
1、周荘(周庄):中世の水郷都市にタイムスリップできるところです。上海西方7-80km、上海の飲料水の水源である淀山湖の西側にあるが、定期観光バスの利用が便利です。私は上海体育場から出ていた観光バスを利用しました。元々は1000年前に周と言う熱心な仏教徒が、自分で開発したこの地一帯をお寺の荘田として献納したことが名称の由来にもなっています。昔の各種生業や生活の情況を目の当たりにできるでしょう。
2、玉佛寺:旧上海市街の北側を走る中山北路の内側、上海駅の少し西寄りにあります。
 80年代の上海駐在時、初めて拝観し玉佛自体の美しさに「一目惚れ」、多くの出張者を
 案内しました。ミロのヴィーナスやダビンチのモナリザより美しいと言うのが、私の宣伝文句です。元々はミャンマーより1882年に慧根上人が持ち込んだと言う。玉佛の
 制作にはモデルが居り、15-6歳のミャンマーの乙女と言われる。恥ずかしそうにはにかんだ表情が何とも言えない。以前は接近し前や横から観察(表情が微妙に変わる)できたが、参観者が多くなり柵を設けており、やや不便なのが残念。
3、上海植物園:上海の西南郊外、鉄道の上海南駅と黄浦江の間、龍呉路沿いにあり80Haの広大な敷地を持ち既に60年近い歴史を有す。お薦めのポイントは年中何かの花が咲いており、各種の形式の庭園があり(日本の大名屋敷風の一角も)、更に熱帯植物園もあり、心が癒されると共に、運動不足を補うことにもなる。私は10回以上参観しました。
4、茂名南路にある錦江飯店の新南楼一階は大きなレストラン・シアターとなっており、雲南省のシーサンパンナの少数民族であるタイ族(タイ国のタイ族ではなく、紀元前呉越が相次ぎ滅亡したが、一部は日本の九州に、一部は雲南省にまで逃亡し、シーサンパンナの少数民族であるタイ族になったとも言われ、体型は日本人に近く風俗は弥生時代の日本に類似している)の踊りが見られたが、今はどうなっているでしょうか?
    柳沢経歴 http://www.nakatsu-bc.co.jp/komon/komon-2.html
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