文革時代の1966-76の10年間、日本で広く理解されている状況と異なり、基本的には親日的であった。又昨今問題にされる中国人のモラルレベルも、日本以上と言えるくらい高かった。改革開放政策が行き渡り始める1980年代以降、経済成長に反比例するが如く、モラルレベルが下がり出し、モラルレベルの高揚を訴える論調も出始めているが、今なお歯止めがかからない状況にあるのは周知の通りです。更にその奥底には3,000年前の「鼓腹撃壌」の詩に詠われている如く、「気ままに生きてゆき、為政者のご意向などには我関せず」との、中国人特有の人生観が流れていると言えよう。一方、表層的な動向は10年か20年くらいで大きな変化を見せているのも事実である。
1、 文革の如く一面過酷な時代でも、多くの中国人は人生を楽しんでしまう性行を持ち合わせており、中国で仕事をし生活をしていた我々外国人にもその余波は及んでいた。例えば革命的と称される歌舞音曲が盛んに公演され、その鑑賞に外国人もよく招待された。オペラ、ミュージカルとも言える音楽劇、バレエ、映画等の形式となり、伝統的な京劇でさえ“革命的”に改変されていた。演目で一番多かったのは、紅色娘子軍(海南島を舞台にした婦人部隊の活躍)や白毛女(地主に迫害され山中に逃げて頭髪が真っ白になった娘)で夫々、10回以上見せられた。他に直ぐ思い出すもののみでも、東方紅(壮大な建国物語)、南戦北征(壮大なスケールでの国共内戦の状況を映画化)、他に紅灯記、沙家浜、地下道戦、知取威虎山等がある。殆どは蒋介石率いる国民党軍との内戦を題材にしており、悪役は国民党幹部や大地主であった。現在の如く荒唐無稽な筋書きでの日本軍を悪役に仕立てるものはなかった。時代背景を体験的に知る年配者が多かったからであろう。又人民大会堂を超大な劇場とした公演も多かった。
2、 戦前の日本政府を、ヒットラー率いるナチス同様と見做す傾向のある現代であるが、当時日本は五族協和を唱えていたが、孫文や毛沢東も同じく五族協和を唱えていた。相違点は主導権を誰が握るかと云う点と、孫文や毛沢東の唱える五族にはチベット族やウイグル族を含むが、日本側の言う五族には、その代わりに朝鮮族と大和族(日本人)を含むことであった。共通する三族は漢民族、モンゴル族、満州族であった。戦前の日本は政府だけでなく、日本人も極悪非道な或いは凶悪な民族性を秘めていると見做したいとの政治的な思惑が背景にあるのが問題であろう。戦前日本が支配した、又は関係が深かった地域の中国人は現在大変親日的であるが、好悪関係なく接点のなかった地域の中国人の対日感情は良くないことを考慮すれば、マナーの悪さには多少目をつぶっても、観光客を含めより多くの中国人が来日し、実際の日本を見て日本人と交流して貰えるよう、官民共に努力することが、外交的戦略になろう。
3、 1975年サイゴン(現ホーチミン市)陥落を以て、ベトナム戦争は終結したが、それより5-6年前、ある中国政府中堅幹部は「現在のベトナム軍は世界最強である。何故なら沼地のような水中で米軍を迎撃する為に何時間でも平気で待ち伏せできる。一方の米軍は前線に迄 ディーゼル発電機と冷蔵庫を持ち込み、冷えたビールを飲もうとするからだ」と言ったことがある。その後、中国は懲罰と称してベトナムに侵攻したが、追い返され外交関係も悪くなった。一方米越関係は敵対関係から友好関係に変化した。日中国交関係修復時に、再三再四中国側が強調していた「共に覇権を求めないようにしよう」は、忘れてしまい、どうもあまり歴史的教訓とはなっていない様である。

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