私は元商社マンですので、多くの国々と交流して来ました。そういう私の体験から判断すると、日本も中国も世界史的に見れば特異な歴史を有している国ではないでしょうか?みなさんの中でも多くの国々と交流してこられた方々には同感を得られるのではないでしょうか?私の最初の海外駐在は、1964年から翌年の7月迄オーストラリアでした(任期半ばで北京に行けとの本社指示で急遽帰国、同9月に訪中)。
当時のオーストラリア人の一般的対日感情はあまり良くありませんでした。第二次大戦で
交戦国だっただけでなく、特殊潜航艇、3艇がシドニー湾迄侵攻した為でもあり、キャンベラの博物館の屋外に展示してある1艇を見せられたこともあります。
★日本の特殊性は、天皇制が連綿と1,500年以上も続き、99%は大和民族(殆どの沖縄人は南方系縄文人の末裔でウチナンチューと自称し、我々をヤマトンチューと呼んでいる。北方系縄文人の末裔であるアイヌ人は、現在7-8万人のみ)で、単一民族に近い。 有史以来権力闘争や内戦はあったが、国家分裂の経験をしていない。又四方は海に囲まれ歴史上ほとんど閉鎖的社会であった。その為他民族との交流経験や民族抗争が庶民レベルではほとんどなく、やや偏狭である(島国根性)。何処からでも200㎞足らずで海に到達、無意識の中に見知らぬ他人への思いやりも育成されてきた。一方相対的に平地が少なく、資源が乏しく、毎年の如く台風に見舞われる上に地震や火山の被害に遭ってきて自然を恐れ
自然に感謝する生活習慣が根付く一方、どんな災難も速やかに克服し、働き者の国民性を育んできたとも言えるでしょう。春秋戦国時代から断続的に大陸移民(戦争難民が大半)があり、更に3-4世紀以降は半島からも沢山の朝鮮人が渡来、外来文化を持ち込み、5-9世紀には半島から組織的に渡来文化が入ってきた。混血し弥生人、古墳時代人となった。縄紋文化と外来文化の衝突は、更なる創意工夫がされ、ブラッシュアップする習慣にもなった。明治維新後短期間に欧米文化をも吸収消化し改善する下地になったと思われる。
★一方中国は、長江一帯の河姆渡、良渚文化を経て、黄河周辺の龍山、二里頭文化に継承され夏王朝に至り、現代に至っている。洛陽と鄭州を結ぶ線のほぼ中間地帯で発見され、二里頭遺跡からは、北京の故宮(紫禁城)につながる宮殿の配置の原型も確認されている。
更に王権の象徴である龍の形を玉板で大きく造形したものも発見され、玉璋も発見され他地域の小国宮殿遺跡からも類似品が出土しており、連綿とした中華文明が4,000年以上に亘り続いていることが実証されている。長期に亘り中断している他の三大文明とは明らかに異なる。王朝としては大小100余の興亡があり、領土の大小も付随的に大幅に変化して
いるが、他民族の文化や人種も受け入れ吸収して大半は漢民族となった。従い、世界の常識に関係なく、自己中心的であり、判断基準も国際的に認められているものは、自己に不利にならない場合のみ、是認する思想、中華思想として定着している。歴史の大半を抗争
の中で生きてきた彼らは、自己主張を繰り返し、絶対的に強いもの(国)へは秋波を送るが、相手が組し易しとなれば威圧的になり、明らかに弱いと見れば援助したり、保護したりするのが、外交関係だけでなく、風俗習慣にもなっている。(続く)

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   柳沢経歴 http://www.nakatsu-bc.co.jp/komon/komon-2.html
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