2014年 12月の記事一覧

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14年12月26日 22時07分47秒
Posted by: yanagizawa

 前回に続いて唐山大地震に就いて説明しましょう。未曾有の大地震の発生で当局や庶民がどんな風に対応したかを知るのは有意義と思うからです。更に私の個人的体験として地震発生の9年前に唐山には列車で訪問しており、駅の施設が文革初期にも関わらず、カラフルな玩具のような可愛い駅だったとの鮮明な記憶があったからです。当時市の招待所に宿泊し、翌日紅衛兵の経験交流を真似て唐山の北方50㎞にある沙石峪(当時第二の大塞と呼ばれ、極悪な自然条件に挑戦し豊かな農村にしたとの、自力更生のモデルだった。文革後夜中に人目を避けて解放軍が協力したこと判明)見学の為、悪路をバスに揺られて訪問した。石ころだらけの土地に桃やリンゴも栽培する豊かな農村風景を目の当たりにしたが、駅舎、招待所共々壊滅しただろうと思わされた。
1-1.地震への中国政府の対応はあくまで自力更生の精神を発揚して、日本だけでなく諸外国の 援助を全て断り、膨大な人力を投入して再建の迅速なことが再三報道された。3ヶ月後の10月には文革中頭角を現した「四人組」は逮捕されたが、その後も自力更生の方針は貫かれ、貧しいながらも気骨のある方針だなと、当時は感銘を受けた次第であった。
1-2.北京の街中を見ると、地震の後長期に亘り、一般庶民は余震を恐れて、歩道、空き地、公園等に有りあわせの材料でテントを作り夜間の寝室としていた。さすが10月頃になると夜は冷え込むので、急速にテントは減少した。住宅はレンガ造りとの伝統文化を有する為、余震により頭上にレンガの壁や天井が崩落するのを極度に警戒する習性となっており、「先ず火を消せ」と言う日本人とは全く違うことを見せつけられた。尚、“副作用”として「デキちゃった婚」が増加したと後日聞かされた(一人っ子政策前で人々はおおらかだった)。
1-3.我々への対応をもう少し具体的に記すと、8人用テントには七つの簡易ベッドが配置され、八人目用ベッドの位置にはサービスカウンターが置かれ、大きな魔法ビンが二本常備され、郵便物があれば此処に置かれた。レストランも半ば野外ではあったが、営業された。理髪店まで来ていた。トイレは大きなバスが改造されて大小用が足せるようになっていた。丁度下水溝の上に設置され使用に不便はなかった。電話交換手付きで電話線も配線されていて、取引先との連絡にも支障はなかった。一つ困ったのは、風呂がなくシャワーのみだったことで、暑い夏なので中国人には問題ないが、長年の習慣で夏でも風呂に入る我々日本人にはもの足らなかったが、思わぬきっかけで解決した。当時ホテルに長逗留は許されなかったが、物取りに行った機会に念のため風呂の蛇口をひねったらお湯が出た次第である。地震でも火は恐れない中国らしいなと思い毎日“ものとり”にホテルに行った。尚、日本大使館から慰問品(若干の飲食物)が届けられたが、大使館員と言えども避難場所には入れて貰えず、北西角の入り口まで取りに行った次第で、安全管理も万全であった。
2. 改革開放政策開始数年後も、深圳等経済特区以外は旧態依然であった。特に上海は10年近く目立った進展がなかったが、私の勤務していた会社では先々を見込んで1980年に上海に事務所を開くことにした。当時は貿易会社のみならず、主なユーザーは殆ど国営企業であった。
  電話の普及率が悪く、地方の取引先との連絡は主として電報に頼った。中国の電報は一万近い漢字を四桁の数字に置き換えて打電し、受信の場合は数字を漢字に置き換えて読むわけです。電碼本と言う便覧書は手元にあったが、大変な手数を要するものだった。又当時は上海では未だ現地人の雇用が出来なかった。然し窮すれば通ずで、電報局の担当の若い女性が漢字との置き換え作業を全部無償で代行してくれた。彼女等は数字を殆ど暗記していた。又ホテルの従業員は、まるで社員の如く伝達、書類の受け渡しなど積極的に手伝ってくれたものである。


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14年12月15日 16時40分43秒
Posted by: yanagizawa

改革開放政策を加速する為、前回は「四個小龍」に就いて紹介しましたが、経済文化など国の発展が相当高くなるまで、制限的自由、民主主義でも構わないとし、いずれ完全な普通選挙等認めようとの意向が中国当局の伏線にあったと見られます。大体鄧小平の「黒猫白猫」理論自体、「思想が良くても悪くても、一生懸命働き創意工夫し国も個人も豊かになればよい」と解釈できます。更に香港やマカオ返還時の約束事である、「一国二制度」も50年との期限付きだが、ある中国の友人は50年後をどう見ているのかとの、問いに対して「50年もすれば社会主義体制だ、資本主義だ、自由民主主義だ」と言うような議論は不要になっているだろう、と言うことだった。一理あると思われる。
① 然し一方では一般庶民の夢と中国政府指導層の夢はどうも「同床異夢」と思えてならない。一般庶民の夢は3000年も前に作られた詩、「鼓腹撃壌」(自由で平安無事に生活できれば、王様がどうであろうが、私には関係ないの意味だが、原文はネットで検索して下さい)の時代から変わらない様に見えます。一方政府や党の指導層にとっての最低限遵守すべき任務である、①国の統一を守る。②民をして飢えることなからしむ、の2点も新中国建国以来変りがないと見られる。周辺国との抗争や少数民族問題、大規模な自然災害は中国の歴史を見るまでもなく、常に為政者は留意せねばならない事項となっています。更に清朝の前中期には世界的に支配的な国であり、人口・経済力の面からも突出していたので、再現したいと思いがあり、単なる夢ではなく、偉大な中華民族の復興と呼びかけているものです。これ等に対し一般庶民の認識の変化は更に迅速であり、風俗習慣を同じくする同一民族(疑似民族を含め)の独立と、国境を越えた地域的連合と言う相反する事象が起きているのが、現代史の潮流であり、それを中国ではどこまで許容されるのか注視されるべきと思われます。
② 香港大学の調査に依れば、17年前の香港返還時に於ける香港の人々の、「自分は中国人」との帰属意識は51.1%だったが、今年6月の調査では僅かに31.1%になってしまい、7割近い人々は「自分は香港人」との認識なっているとのこと。年間4,000万人とも言われる大陸からの観光客や出産するだけの為に訪れる妊婦の多さも、好悪両面で香港の人々の意識に多大な影響を与えているとのことに注目が必要です。特に、香港返還時には小さな香港の経済力は、全中国の16%もの比重があったが、現在では僅か3%になってしまい、香港の大陸側への影響力は相対的に小さくなり、逆に大陸側の香港への影響力が大きくなっていることにも、留意が必要でしょう。
③ 中国は昔欧米諸国の「植民地主義」に反対していたが、公然とは言わないが中国自身の政策としては真逆に変化し、不言実行をしていると見られます。それは政治的自治を認めている少数民族地区への漢民族の移民です。私が比較的承知している内モンゴル自治区や寧夏回族自治区では既に人口の8割が漢民族になっており、大きな族問題は起きないと見られます(両区では目撃の限りでは少数民族が大切にされている)。新疆ウイグル自治区では漢民族とウイグル族は夫々45%前後で拮抗しており、特にカシュガル地区では大部分はウイグル族の居住地であり、よく民族問題が噴出します。チベットは、大部分が富士山以上の高原地帯である為、民族問題が多発すると言えます。以前ある中国の友人は、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージランドや中南米等元々白人は居なかった地域ではあるが、既に民族問題は克服され解決されている。彼等がしたことと同じことを中国がしても、非難する権利は彼等にはないはずだ、ましてや中国国内問題であると言う。


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14年12月15日 16時40分41秒
Posted by: yanagizawa

中国の対外的夢は、為政者にとっては清朝の最盛期の再現であるが、一般庶民の夢は平穏且自由に生活してゆきたいことなることは既に述べた通りです。一方対日関係になると1972年の国交正常化時には既に決まっていた如く、為政者にとっては半永久的に日本に贖罪意識を持たせ続けたいことで、今後誰が政権を担おうと変わらないでしょう。実はもう一点殆んど知られていない点があります。中国当局の戦略策定の基礎データは、社会科学院の専門家達の調査研究に基づく提言ですが、その中に日本に対して高圧的姿勢を保とうとするするのは、単に政策的なものではなく、心底日本への恐怖感もあると聞いたことがあります。それは日本の歴史を長期的に俯瞰して見ると:
「古代に於いて幾多の抗争を経て、文字通りの平安時代になったが、平清盛や源頼朝に代表される武士階級が急速に支配権を確立して武断政治に変化した。それは800年以上も継続し、江戸時代に鎖国政策もあり200年余も平和ボケしていたが、明治維新により富国強兵と対外拡張主義に至った。従い戦後平和路線を歩んでいると言われても、何時の間にか“何時か来た道”に回帰しないとも限らない。特に日本人の団結力や使命感に燃えると平気で一命を捧げる民族性を考慮すると、警戒心を保持し、牽制し続ける必要があるのだ」と言うことです。

 中国が、China Dream実現の為より一層経済成長を遂げんとする方針に変化はないとみられますが、一方では克服すべき大きな問題も横たわっており、成長率の低下は避けられず、更に社会不安を大きくする要素も深刻化するでしょう。
☆公害問題とも言うべき環境保護問題;PM2.5の濃度等大気汚染の深刻さに対しては度々報道されますが、古くは3廃問題と言われた排気、排水、廃物(ゴミ)に就いて、実際は技術も法令もあるが、経済的利益に直結せず、コスト高に繋がるとして、官民ともに重視して来なかったことが原因です。然しいよいよ軽視できなくなって来ており、何時ごろからどのように重視し始めるか、注目していきたいと思う。各地で“公害病“が社会問題化するのは避けられないでしょう。
☆もう暫くは農村山村等僻地の貧困地帯も経済成長の波及効果とも言うべき恩恵に浴して我慢し続けようが、貧富の格差はますますひどくなっており、これも社会不安要素になるでしょう。私の初訪中時代の1965年頃は、全般的に貧しかったにも拘わらず、多くの中国人の目は輝き,澄んでいました。経済面での幸福感は絶対的水準の問題ではなく、他者との比較と言う相対的な問題であることを実感させられます。
☆最も解決困難な問題は、官民共に存在する汚職問題です。現在習近平政権は必死になって撲滅運動を展開していますが、限界があるでしょう。新中国誕生後何度も挑戦した問題ですが、汚職問題は全国的に殆どの階層間で普遍的に存在し、結局は一部の人達をやり玉に挙げて矛を収める他ないでしょう。これは中国のみならず、社会主義国全てに存在する宿弊とも言うべき問題で、日本等とは比較にならない程多く、大規模なのが問題です。
☆更にGDP表示の経済成長が過度に“ハコもの”に依存しているのも、大問題です。高速道路建設、高速鉄道の建設、高級住宅や高層ビルの建設、地方政権による工業団地や鬼城と言われる実需を無視した新たな都市(市街地)の建設等、これ等の為に不良性の金融残高は最近の諸情報を照合してみると、20兆元(300兆円超)を越えているのは間違いなさそうです。
  次回更に日本との関係も考慮した上での、中国の本来の夢に就いて述べましょう。

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14年12月15日 16時40分35秒
Posted by: yanagizawa

Chinese Dream(中国夢) とか、偉大なる中華民族の復興とか、とのスローガンが最近の中国では叫ばれているが、少し前までは「平和的台頭」と叫んでいた。何故国家的スローガンを変更したのであろうか?平和的台頭は軍事的台頭を類推し易く、又‟台頭”後の姿をイメージし難いからではなかろうか?それに引き替え「偉大なる中華民族の復興」と言えば、全世界の富の30%以上が存在したと言われる清朝の第4代皇帝の康熙帝(1661~1722)から第6代皇帝の乾隆帝(1736~1795)にかけての100年余の中国が、イメージし易いからではなかろうか?
 スローガン的国家目標は、毛沢東時代の大躍進政策(1958-60)では、15年以内にイギリスに追い付き追い越せといわれたが実現せず、不合理な政策と自然大災害とが相まって失敗に終わった。鄧小平の改革開放政策が1978年末に決定し、なかなか定着せず試行錯誤であった1980年代大いに叫ばれたのがアジアの「四個小龍」に見習えと言うことだった。「四個小龍」を提唱したことは経済的な意味合いだけでなく、重要な政治的な意味もあるので若干説明したい。
1.先ず「四個小龍」とは、アジアで戦後急速に経済成長した、韓国、台湾、香港、シンガポールを指すが、当時日本は既に世界第二の経済大国と言われており、目標とするには困難との鄧小平の現実的な判断があったと見られる。改革開放を標榜しながら本格的な政治的改革には着手したくない鄧小平には、「四個小龍」を手本にするには都合良い側面があった。即ちいずれも長期間、普通選挙を実施しない等人々が望む「自由と民主主義」はなかったからである。
2.個別に見ていくと:
韓国は1987年末に普通選挙により大統領が選出されるまでは、戒厳令が敷かれた軍政下にあった(但し文民政権誕生は1992年)。この様な情況下で「漢江の奇跡」と言われるほどの経済成長を遂げた。1965年日本との国交正常化時の約束により、当時の韓国の国家予算を上回る日本からの経済援助が大いに寄与した点には韓国人は認めたがらないが。
台湾は1987年にやっと戒厳令が解除され、1988年に本省人として初めて李登輝が総統に選ばれた。それまでは中国大陸での内戦に共産党に負けた国民党が台湾に逃げ込み、台湾全土を支配してきた。
香港はアヘン戦争以来150年余イギリスの支配下にあったが(戦時中3年余日本軍が占領)、1984年に中英両国の合意により1997年7月1日に返還され、50年間は外交と軍事両面を除き高度の自治が認められることになった。然し未だ普通選挙は行えない情況が続いている。
シンガポールは1867年以来イギリスの植民地だったが、1959年に自治権を獲得しマレーシアの一州になったこともあるが、1965年には独立した。1959年に初代首相になったリークアンユーは1990年まで長期に亘り実質上独裁政権を維持した。
以上四個小龍に共通しているのは、面積は小さく人口も資源も少ないが、経済的にある程度のレベルに至るまでは、普通選挙を認めない等自由民主主義を制限してきたが、経済のみならず文化、モラル等の向上には支障がなかった点である。中国も同様の道を歩めばよい、とするものであった。逆説的に観察すればある程度のレベルに至れば自由民主主義への道も開かれるとも読めるものである。マカオ(1999年12月20日ポルトガルより返還)と併せて香港は返還後50年間外交防衛問題以外は、中国大陸政治に関係なく高度に自立した自治が可能との取り決めは、特に意味深と思われる。(続く)

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14年12月15日 16時40分31秒
Posted by: yanagizawa

殆どの中国人は身分に関係なく、本心では日本や日本製品に憬れています。今年は観光客等、来日中国人は昨年より五割も増加し200万人超過と報道されていますが、今後益々増加して本当の日本の姿や日本人への理解を深めてくれるでしょう。
覇権主義を追求したい一部の党幹部と絶対多数の其の他の中国人とは区別してお付き合いした方が良いと前回述べましたが、より一層理解して頂くため、更に追記します。戦前及び国交正常化する1972年以前の日本政府の対中態度や政策は、中国側から見たらひどいものだったことは誰でもご存知でしょう。その様な時代でも魯迅、孫文、周恩来等は来日し、或いは留学しました。又国交正常化前でも、中国に長期間駐在していた我々日本の若者(必ずしも態度も思想も良くなかったが)は中国の何処に行っても「外賓」と呼ばれ、大変歓迎され筆舌に尽くせない程の「もてなし」を受けました。特に忘れがたい事例を若干羅列して見ましょう。一部以前紹介しており重複しますが、ご容赦下さい。
1.1967年文革中ですが、中国に長期滞在しました。我々の身元引受人である中国国際貿易促進委員会の手配で、農村、学校、工場、住宅団地等沢山の見学をアレンジして頂いたが、歌舞音曲への招待も多かった。バスで劇場に到着すると、先ず貴賓室で応対され、開演直前に前から数列目の一番良い席に案内されました。他の中国人観衆は全員立ち上がり拍手で迎えてくれました。
2.地方に出張すると、列車の場合は到着したプラットフォームの乗車した客車の前まで
 出迎えの人が車で来ていました。乗る場合は先ず貴賓室に通され駅長(小さな町の場合は町長や党の書記)が挨拶に来られ、接待を受け列車の発車直前に指定の客車に案内されました。
3.農村(人民公社)見学の時は、我々日本の若者達が30人余も押しかけた為、茶碗が足らず何軒もの農家からかき集めたらしく、不揃いの茶碗で湯冷まし水(涼開水と称す)をすすめてくれました。農作業を手伝おうではないかとある日本の若者が提案、当時の風潮に合っていたので、即全員賛成、然し野菜採取等仕事が粗雑であったので、数十分で「もう結構です」と言われてしまった。文革中ではあったが、貧しい農民たちの我々日本の“不良青年達”への応対は本当に心のこもったものでした。
4.初訪中は1965年9月で、北京上海日本工業展覧会参加が主要目的で、10月北京、12月上海で夫々3週間もの長丁場だった。最終的な展示品処理が完了し北京に列車で戻れたのは1月23日であったが、その間いろんなもてなしを受けた。例えば上海で12月24日はクリスマスイブの晩餐会、31日夜には夜食として年越しそば、元旦には特別にお雑煮がホテルより出された。北京への移動では大量のカタログや展示見本等の輸送を一人で9社(展示代理メーカー)分扱ったが、上海の関係者が献身的に協力してくれた。
5.北京の東方150㎞に位置する唐山で1976-7-28早朝、大地震が発生し中国政府発表でも30万人近い死者が発生し、北京でも前門から西方に延びる古い民家が殆ど倒壊して(其の後高層アパート群を建設)、300人余が死亡したと後日伝えられた。然し我々の住む商人宿とも呼ばれた新僑飯店の住民は当日昼迄には、故宮の東南部の労働人民文化宮と言う公園に全て避難させられた。8人用軍用テントが沢山張られ、ホテルのサービス機能も殆ど同時に引っ越され、生活や仕事に不便はなく、中国当局の迅速、周到な手配に感謝した次第。当時の状況を街中を含め、次回更に紹介しましょう。

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14年12月15日 16時39分13秒
Posted by: yanagizawa

 中国では今でも日本の蔑称である「小日本」、「東洋鬼」と言う者や、中国人の部下を
不当に扱ったりする日本人上司を陰では「日本鬼子」と言うことがありますが、日本に来たことがある中国人は、殆どは親日的であり、日本とは仲良く付き合ってゆきたいと思っています。ネットで沢山見られる中国人の各種各様の日本や日本人へのコメントを見ていますと、善意に満ちたものが殆どです。又日本でも戦前の如く中国人や韓国人を蔑視した様な呼び方をする人は殆ど居ません。然し中国人の公開の場や数人以上同席の場合の発言となると、全く異なることを言います。これは本音ではありません。例え日本での発言であっても、中国共産党や中国政府を批判することが禁じられている中国に伝わることを恐れるからです。惻隠の情を以て接したいものです。

1.国交正常化する前だが、商社マンとして訪中する際、団体を構成して香港経由で行く場合が多かったのですが、業界の先輩からは「香港では言論は全く自由だが、スリが多いから身の回りは気を付けなさい、深圳通過後はスリやコソドロはいないから身の回りに注意する必要はないが、君はやや右翼的だから口元には気をつけ、仮にも中国政府を批判したと思われるような発言はするな」と注意されたものです。
2.文革時代も天津、北京、広州等で仕事をし、生活した私ですが、不思議と中国側から批判されたことはありません。当時(1967年)でも中国に輸出した設備を納入据付する為に日本のメーカーから若い技術者が長期出張し、紅衛兵との座談会に参加したことがあります。中国の紅衛兵が「日本は豊かな国でテレビや自動車が普及しようとしているが、国際連帯を示すためにアジア・アフリカで解放闘争をしている人民の援助に回すべきです。」と言ったことがありますが、日本の若者は「自分が働いて稼いだ金で何を買おうと勝手でしょう。若し彼等に金を渡したら、彼等にとっては不労所得になり、搾取の一つになるでしょう」と言ったら、紅衛兵達は話題をかえてしまったことがあります。むしろ思想的に中国に近かったはずの多くの商社マン(友好商社の)が、中国人と思想的に激論し、一部の人達はスパイ容疑をかけられたのは皮肉な出来事でした。
3.現在日本の殆どのテレビ局では世界の辺境地でも活躍する、又は現地に溶け込んで生活している日本人や、来日した外国人との交流をテーマにする番組を放送しています。日本人の勤勉さ、伝統を守りながら進んだ技術や文化を育んでいる情況、更には、すっかり有名になった日本流「おもてなし」に、殆どの外国人が感銘を受けています。私が時にはボランティアで参加する国際交流の場で接する外国人も同様です。日中間でも同様ですが政治的対立が阻害要因になっているだけです。

4.1972年9月の国交正常化前には、中国に行く日本人は僅かでしたが、我々日本人は国賓待遇を受けており、その後も今に至るまで日本とは仲良く交流したいのが
 中国人の夢の一つであり、今後も変わらないでしょう。力に頼り策略をめぐらす一部の中国人とは区別して見てゆきましょう。
以上
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14年12月15日 16時38分31秒
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 中韓両国の反日活動の真相は何か?その本質を知らなければ、的確な対処方法も分からないことになるが、長年の私の中国との交流を通じて感じるのは、その真相を知る人達は、日本だけでなく中韓両国でも少ないと痛感します。以前にも触れているが、先ずは原因から先に述べよう。
1、  中国大陸で日本が戦った相手は、国際的認識では国民党政権であり、1945年には共産党政権は存在せず、従い新中国誕生後延々と日本皇軍を倒したのは共産党の指導する軍隊と宣伝して来ている。然し、事実と相違するので実感が伴わずジレンマに陥っている。
かって毛沢東は「抗日戦争で、国民党軍をかなり消耗させてくれたので、その後の解放戦争では大いに助かった。日本皇軍に感謝したいくらいだ」と語ったことがあるが、今では信じられないだろう。敗戦国の日本が戦後30年足らずで世界第二の経済大国になったが、戦勝国を自認する中国は、70年代末までは貧しい発展途上国のままであった。
2、 近現代史に於いて、日本だけではなく列強諸国に蹂躙され被害者として、中華民族の自尊心は大いに傷付けられ、リベンジを果たしたいとの思いが強い。但し、中国領土内の少数民族の自尊心に就いては、理解が不十分で、配慮も行き届いていない。

  従って、反日活動家は日本人を「東洋鬼」、「日本鬼子」とか「小日本」とののしりたくなる。前にも触れたが、中国のある知識人との議論で、私の方から「日本は確かに中国より国土は遥かに小さく、人口も1/10であり、間違いなく『小日本』であるが、殆どの国や民族には歴史上非難されるべき点がある一方では評価されるべき点がある。中国人に自尊心がある様に日本人にも自尊心があり、それらはお互いに尊重されるべきであろう。ジンギスカンを英雄として今なお大々的に祀っているモンゴルは非難されずに、特別な英雄として祀ってもいない靖国神社への日本政府首脳の参拝を非難するのはおかしいではないか」との、指摘には「モンゴルと日本を同列に扱うのは根本的に誤りである。何故ならモンゴルは人口が300万足らずの貧しい国であり、内モンゴル他中国内のモンゴル人も5-600万人であり、内モンゴルでは保護対象になっている。」と反論するが、更に「それでは日本の発展や国力に対する嫉妬心からの非難ではないか」と指摘すると、無言になってしまう。

  古代には日本の師匠の地位にあったが、近代以降多くの面で後れを取り、強いコンプレックスを抱いているのが真相で、日中友好平和条約での約束に反して、何としてもリベンジを果たし、日本を自らの影響下に置き、更には西太平洋に於いての覇権を確立したいのが本音であろう。
30年も前ではあるが、あるチベット人は「北京も偽満をつくった昔の関東軍も同じだ。確かに技術や経済面で開発援助をし、人材育成にも注力されたが、結局は支配しようとした。この点は他にどんな善行を施しても償い切れない。どんな民族も支配だけはされたくないのだ」と語った。
中国の憲法では毛沢東思想を国家運営の指導理念としているが、毛沢東思想には「民族は独立を求め、人民は解放を求める。これは現代の潮流であり、如何なる勢力も抑止できない」とあるが、上記チベット人は「我々は、独立は求めないが、漢民族との関係を支配、被支配の関係でなく、憲法の定めるように(第四条)、平等な兄弟姉妹関係でありたい」と念願しているとのことであった。
面白いことに、満州国建国に当たっては、五族協和が提唱されていたが、孫文や毛沢東も五族共和を提唱していた。尤も五族の中身は異なり、漢、満、蒙の三民族は共通だが、日本の提唱には日本人と朝鮮人を含むが、孫文や毛沢東提唱にはその代り、ウイグル族(当時は回族と言った)とチベット人(蔵)を含めた。五族協和の提唱はヒットラーの選民思想とは正反対であるが、この点中国人の認識は歪曲され、好悪に関係なく日本人のリーダーシップが許せないと言う。(続く)

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