農業問題に関する議論がますます白熱化している。農業は票集めに重要な産業であるため、どの政党も思い切った政策を実行できない。そして、農業従事者は、被害者意識を高揚させて、ヒステリックに自由化に反対する。農政には、改革すべき点が山積しているのに、いつまでたっても、堂々巡りの議論が続く。さらに悪いことには、現政権には、確固たる信念も明確な目標もないため、政策が一定せず、まるで二日酔いのサラリーマンのようである。常に「農業の自由化は国家の存亡に関わる」ので、もっと議論が必要という結論になる。そして、議論が延々と続く。

農業といえども、グローバル化の流れを避けて存続できない時代になっている。どのように、農家を保護しようとも、農家にグローバル化に対処する術を知ってもらわないと、まったく無駄な努力である。日本の農業が内向きの姿勢を変えないと、日本が想像する以上に外国産の農産物の質はどんどん向上していく。そして、気が付いたときには、高品質と思っていた日本の農産物と輸入農産物の品質の差はなかったということになる。競争は避けるべきではない。情報が瞬時に世界を駆け巡る昨今では、品種改良、土壌改良、流通改革等の情報は、競争国にすぐに伝わって、日本市場に焦点をあわせた商品がすぐに開発される。

日本の場合は、特に小規模農家の保護が手厚い。しかし、保護するだけでは小規模農家の競争力の強化につながらない。グローバルな競争を避けずに、日本の農家の競争力を強化する政策が必要不可欠である。自由化を議論すると、すぐに、米国の大規模農業との比較になる。しかし、どのようなビジネスでも、規模の経済性だけで勝負が決まるものではない。食べ物があふれているという現実を直視しないで、戦後の食べ物がなかった時代の農政を続けても、時代にあった政策は構築できない。現在、我々が食べている米は、20年前の米とは全然違う。今、日本の農業従事者に必要なのは、20年前の内向きの思考態度を変え、競争を避けずにグローバルな競争に立ち向かう思考態度である。(Written by Shigeo Sunahara of CBC, Inc.)