私の拙い人生経験と前世療法等で得たことを基に、私が信じる生き方とあの世について以下の羅列したいと思います。以下に書かれたことは、もちろん私の単なる私見であり、正しいと言う確証は何らあるものではありませんので、皆様の方がその賛否を判断して下さい。

・人の魂は、余計なものをそげ落としていくと、残る意志は、「ただ(見返りを求めず)、何ものかの役に立ちたい」という気持ちだけになる。これが、人の良心であり、人の心の核である。また、これを宗教によって、「愛」と読んだり、「仁」と読んだり、「慈悲」と読んだりする。

・人の心は、良心を核に、理性(合理的思考)、感情、本能が関わって形成されている。感情や本能、損得勘定に惑わされることなく、見返りを求めず良心を発露する生き方をすることが魂が本当に喜ぶ生き方であり、悪しきカルマを抱えない生き方である。

・人は正義を振りかざすとき、ご都合主義によるものか良心の発露に基づくものかをよくよく自分自身の心を見定めなければならない。

・損得勘定や感情、本能による行動は、全てとは言えないが、悪しきカルマを導きやすい。

・長い時間(5年以上)思い続けたことは、現実化しやすい。逆に、望むことは、障害も起きやすい。その障害を克服すると一段望みが叶えやすくなる。

・この世(現世)とあの世(霊界)、霊界の先に神界(光のみの魂の世界)があるようです。
霊界は、その魂のレベルにより階層構造になっているようです。欲望(損得)、感情、本能の影響が少ない者ほど上の階層に行き、下の階層の者は上の階層の助けがないと上の世界に行けないようです。
神界は、神の世界と言うより、光の魂のみの世界で、近い魂が集団をなしグループソウルを形成し、大きな光の塊として存在する世界で、そこには、欲望(損得)、感情、本能はもちろん存在せず、思考もなく(なぜなら、必要なことは瞬時に解る)「ただ、何ものかの役に立ちたい」(良心)と言う意志しか存在しない。
我々がお祈りする神とは、神界にあるのでなく、霊界の上層部にいる高級霊のことである。それらの神々には、役割分担なのか、使命なのか、自らの意志なのか、それぞれ異なる役割を持っている。
主にリスト教で言う神や天使は、この人間界をより理想的なものに導きたいという意志を持っているようだ。私が、お会いした大天使ガブリエルは、今の欲望渦巻く人間界に対して怒りの眼を向けられていた。また、ガブリエルは、私に「来るべき世界の種を蒔け」といいました。今の文明や価値観は、彼ら神から見ると否定すべきもののようです。だからと言って彼ら神が直接人類に天誅を下すようには、私には感じられませんでした。多分の必要性もないのでしょう。
おそらく、これから環境破壊により世界の人口は減り、化石燃料に依存した文明は破壊され、残った人たちの中に新たな導き手が現れ、ブータン王国のような世界が築かれ、そこから徐々に人々の人格の高まりとともに神の国に近い世界になっていくのでしょう。
また、仏教で言う菩薩や如来は、単に「この世に生きるものの役に立ちたい」という意志が強いものが多い。というよりも、仏教の聖者たちが、それらの意志を利用して菩薩の力を借りる手段を見いだしたという方が正しいのかもしれない。

・私たちの魂の目的は、創造神が作った現世、霊界で体験を積むことであると思います。私は、ただ、それだけでは面白くないので、修行重ね良心を磨き、欲望(損得)、感情、本能から遠ざかり、高い霊性を求め、最終的には神界に行き着くことを私の魂の目的としたいと思います。
また、時々、「現世でなければ魂は磨けない、人格向上は計れない」という人がいますが、これは違うと思います。私が2009年5月の前世療法で旅したモーリスという魂にあった世界は、魂たちが瞑想修行する世界でした。霊界でも、求める心があれば、魂を磨く修行場があるようです。