私たちは、3つの意識により生きていると言いました。
「意識」「無意識」「超意識」です。
そのうち、「無意識」は、巨大なコンピュータであり、「意識」は小さなコンピュータだとも言いました。この関係は、ちょうど企業で大きなホストコンピュータを要し、そのホストコンピュータから必要なデータを取り出し、仕事は各自のパーソナルコンピュータで作業するのに似ています。
パーソナルコンピュータが、私たちの「意識」であり、ホストコンピュータが「無意識」なのです。
但し、ホストコンピュータと異なるのは、「無意識」は、自分で新しいプログラムを日々作り続けているということです。
では、何によって「無意識」は、プログラムを作り続けるのでしょうか?
その源流は、主に2つです。
1つは、「生に対する執着」です。無意識は、あくまでも肉体を動かす(生かす)ソフトウェアです。
従って、肉体を生かすことが根本的本能と言えるでしょう。そのために必要と考えるプログラムを日々作り続けているのです。
防衛機制と言われる人に元々存在するプログラムも「生に対する執着」を源流にしているのでしょう。
2つ目は、「個に対する執着」です。「生に対する執着」は、「種に対する執着」と言い換えても良いかもしれません。生き物の中には、自分の子孫を生かすために自己犠牲を本能的に強いるものがあるからです。
一方、人間には、「個に対する執着」があります。そのため、人はプライドが高く、他との差別生を求めます。集団の中で目立とうともします。
また、喜怒哀楽と言われる一般感情もこの「個に対する執着」によるものではないでしょうか?
上記2つの執着から、また、既存のプログラムから新しいプログラムが日々作られ、あまり使われないものは破棄され、よく使われるものは強化され、必要に応じて既存のプログラムを書き換えたり、つなげたり、分割して今日の私たちを形成しているのです。