武田薬品工業が、神奈川県藤沢市に世界最大級の研究拠点を完成させた。実験スペースは、医薬品メーカーの研究所として世界最大規模で、国内の研究者1,200名が、この研究拠点に集結する。国内では食習慣や生活習慣の変化で、難病がつぎつぎ表面化し、医薬品メーカーの研究範囲は急速に広がっている。また、グローバル化の進展や発展途上国の富裕化にともなって、世界市場の動向にも目を離せない。

日本の大手医薬品メーカーは、江戸時代に幕府から認可をうけた薬種業としてスタートしている。武田薬品は最古参ではない。しかし、明治に入って、和漢薬しかなかった日本の医薬品市場に洋薬をはじめて導入したのが武田薬品である。ヨーロッパに第一世界大戦が勃発して、ヨーロッパで医薬品が極度に不足し、医薬品の輸入が全面ストップした。そのため、医薬品がおそろしく値上がりをして、当時の薬商は非常に儲かった。

巨利を占めた薬商の中には、本業以外のことに手を出す者も現れた。汽船会社を興す者やキャラメル製造を始めた者もいた。しかし、武田薬品は、他の事業には見向きもしないで、本業の製薬事業に投資をし工場を建設した。大正4年(1915)に工場は完成し、お金を注ぎ込んだだけあって、当時としては最新の設備を誇った。さらに、研究開発に積極的に投資をして、生産、研究、試験の3部門を持つ近代的な製薬会社へと発展していった。そして、今や日本が誇る超優良企業になっている。

武田薬品の例は、企業は自社の遺伝子を見失うべきではないことを教えてくれる。企業の体質にしみこんだ遺伝子は、企業の大事な財産であり、また、顧客に自社を判断してもらう重要な基準になっていることを忘れてはならない。TDKはフェライトという、日本人の発明を工業化することから始まっている。そのため、磁性材料と電子材料以外のことには目を向けず、TDKの遺伝子を守っている。そして、その遺伝子に新たな遺伝子を付け加えることが企業の義務といえる。受け継いだ遺伝子と無縁なことをやったのでは、その責務を果たしていることにはならない。(Written by Shigeo Sunahara of CBC, Inc.)