2013年 7月の記事一覧

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13年07月25日 09時08分45秒
Posted by: kinokagaku
八朔(はっさく)とは八月朔日の略で、元来は旧暦の8月1日を指します。
2013年の暦では、9月5日になりますが、新暦のまま8月の初日を八朔行事
にするところが多いですね。

この頃、早稲の穂が実るので、稲の穂入りを前にして豊熟を祈る神行事と、
農民の間で初穂を恩人などに贈る風習が古くからあったそうです。
このことから、田の実の節句ともいうのですが、この「たのみ」を「頼み」にかけ、
武家や公家の間でも、日頃お世話になっている(頼み合っている)人に、
その恩を感謝する意味で贈り物をするようになったいわれがあります。

室町時代、一条兼良は「公事根源」の中で、鎌倉時代の後深草天皇の建長の頃か、
後嵯峨天皇の頃か定かではないがと紹介していますが、民間儀礼の一部として農民の
農耕儀礼にその源を発し、次第に武家から公家へと浸透していった模様ですね。

江戸時代になると、徳川家康が天正18年8月1日(新暦では1590年8月30日)に初めて公式に江戸城に入城したことから、江戸幕府はこの日を正月に次ぐ重要な祝日としていました。
尤も、庶民は昼寝の終わり、夜なべの初めと奨励され、「泣節句」といわれたのですが。^^;
今は昔ですね。(笑)

今でも、京都では祇園一帯などの花街では、新暦8月1日に、芸妓はんや舞妓ちゃんが
お茶屋や芸事の師匠宅へ挨拶に回るのが伝統行事になっていますので、
観光の方はご見学を。^^

地元、松尾大社では、八朔祭は毎年9月の第一日曜日に行われますが、
京都で最後の夏祭り。
このころ台風や病害虫の被害をこうむる事が多いため、風雨を避け、順調な五穀豊穣、
家内安全を祈ることを目的として、明治18年からある祭りで、旧暦8月1日から今のように
変えたのは、昭和51年以降です。
平安時代に、空也上人が当社の神前において、初めて奏したと言われる
六斎念仏踊(無形文化財)、当社氏子青年会主催の盆踊り(前夜)や、
また当社南側の相撲場では、鎌倉時代からに今日まで続いている八朔相撲が奉納されます。
夜ともなれば、境内・参道すべてに、氏子・嵩敬者から奉献された提灯に灯が点され、
八朔祭の風情を盛り上げます。
風情と言えば、この日、松尾大社から出発して渡月橋周辺を練り歩く「女みこし」も
ええもんです。(笑)
あまり観光客はご存知ないかもしれませんが、夏休みも終わり、秋の紅葉のシーズンまで、
祭り心の陽気があると良いですね。^^

さて、八朔といえば、日本を代表する柑橘類の一つがありますが、これは江戸時代末期に
広島県因島のお寺 恵日山浄土寺で発見され、
当時の重職 小江恵得が「八朔には食べられる」といったところからこの名がついたそうです。

新旧の暦を問わずに8月1日。
特別、行事はなくても、暑い中、さっぱりとして疲れが取れる食事がしたいものですね。
晒しタマネギとキュウリ、塩漬けオリーブの実と、皮を剥いた八朔を味醂と
白ワインビネガーで和え、冷蔵庫で少し寝かせて味をなじませた、
八朔のさっぱりマリネなんかは如何でしょうか?^^

八朔は文旦の雑種ですが、、苦み成分ナリンギンは食欲を抑えたり、
脂肪燃焼を促したりとダイエット効果が期待できます。
また、造血に欠かせない葉酸や、塩分排出を助けるカリウム、美肌効果・風邪予防の
ビタミンCなども含まれているので、積極的に食べたいところ。
ホントは旬ではないので、同じ成分効果のあるグレープフルーツで作るのも良いですね。^^v
13年07月19日 14時01分17秒
Posted by: kinokagaku
7月に入って猛暑日が続きますが、今年(2013年)は19日から、土用入りです。
22日は「土用の丑の日」で、これからどこでもウナギが特売されますね。

実際には、土用の期間は、一年に4度あります。
二十四節気の立春、立夏、立秋、立冬の四立日の直前18日間ずつが土用で、
現在は太陽の視黄経により、春夏秋冬の土用の入りが定められています。

元来は五行説より起こったもので、五行では、春に木気、夏に火気、秋に金気、
冬に水気を割り当てるのですが、残った土気は季節の変わり目に割り当てられ、
これを「土旺用事」、「土用」と呼んだのです。
土用は、土性が支配する期間で、季節の変わり目に当たるこの期間は、
土の気が盛んで万物の変化が激しく、土を犯すことを忌むという禁忌があって、
地鎮祭、基礎工事、土木作業などを避ける習慣があり、今も風習となっていますね。

18日間も着工できないのは不便なので、土用に入る前に着工して、土用中も作
業を続けることは差し支えないとされていますね。
また「土用の間日(まび)」には土用の障りがないとされたものです。
参考までに、春の土用の間日は巳、午、酉の日。
夏の土用の間日は卯、辰、申の日。
秋の土用の間日は未、酉、亥の日。
冬の土用の間日は卯、巳、寅の日となります。

多くの人は、「土用」と聞くと、夏とウナギを想像するようですが、確かに土用波というのは、夏の現象です。

土用波とは、夏の土用の時期に、比較的穏やかな海で突発的に発生する大波のことで、夏の土用の時期にこのような波が来ることは、古くから漁師の間などで知られていました。

近代気象学の発達に伴い、これは遠洋に存在する台風の影響であることが分かりました。

台風に伴って南方で発生した波浪は、波頭が丸く波長が長い うねりとなって周辺海域に伝わります。

遠く沖縄にある台風のうねりが、約1500km離れた静岡沿岸や千葉・九十九里浜まで伝わるのですが、稀に複数の波が重なって大きな振幅になる場合があるのです。

このような通常の2~3倍の高さをもつ波は、千波に一波程の割合で現れるといわれ、これが沿岸で突然の大波となって襲うことがあるので、台風接近の折は、遥か遠くのことといっても、海水浴には御用心。 五行でいわば、土剋水の現象で、水が反逆するようなモノです。

一方、土用の丑の日のウナギを食べる風習は、通説では、江戸時代、平賀源内が発案したという説が最もよく知られていますね。

それによると、商売がうまく行かない鰻屋が、夏に売れない鰻を何とか売るため、源内先生の所に相談に行ったところ、源内は、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めた。
すると、その鰻屋は大変繁盛したそうで、その後、他の鰻屋もそれを真似るようになり、
土用の丑の日に鰻を食べる風習が定着したといいます。
丑の日と書かれた貼り紙が効力を奏した理由は諸説あり、定かではありませんが、
一説によれば「丑の日に『う』の字が附く物を食べると夏負けしない」という風習があったとされ、
鰻以外には、梅干や瓜、うどん、卯の花(おから)などを食する習慣もあったようですが、
今は、見かけなくなった風習ですね。^^;

かくして今日でも未だ平賀源内の呪(しゅ)の働く土用の丑の日、ウナギの日ですが(笑)
実際にウナギにはビタミンA・B群が豊富に含まれているため、夏バテ、食欲減退防止の効果
は期待できます。
ただ、ホントはウナギの旬は、冬眠に備えて身に養分を貯える晩秋から初冬にかけての時期で、
春に比べても、夏のものは痩せて味がおちるのですが。^^;
これも「初鰹(はつがつお)」を珍重して求めた江戸っ子を一とする日本人の心意気?(ワラ)

2013年の今年は、ウナギが高いですね。--
中国産ウナギはまだ国産より安いのですが、どうも私は安全性に信頼が置けません。^^;
ウナギは中国人は食べないが日本に輸出すれば法外な値段で売れるため、『海の宝石』と呼ばれ、
特に夏向けは需要が沸騰するので価格も急上昇します。
それで日本では使用が禁止されている孔雀石緑(マラカイトグリーン)と避孕剤(ピル)を水中にブチ込んで、大量生産
しているのです。
マラカイトグリーンは成長促進剤で、ピルは稚魚の病死予防用ですが、れっきとした発癌性物質。--
2013年2月にも、さいたま市で大量のマラカイトグリーン入りウナギが検出され、72.5トンもの蒲(かば)焼きが回収処分を受けたばかり。
敵対国とみなしている日本に、どのような「コ(蟲の下に皿)毒」や呪いが盛られているや、いないや?(怖っ)
夏の土用の怪談でした。(笑)
13年07月07日 11時11分37秒
Posted by: kinokagaku
七夕とは七月七日の夕方の意味で、「なぬかのよ」と呼んでいたのが転じたらしいですね。
民間信仰の中では、七夕を送ることが祓いを行なうことで、最も重要視されてきました。

芋の葉の露で墨をすって色紙、短冊に願い事を書き、七夕竹に吊るすと、
願いも出会いも実現するといわれ、今でも夏の風物詩になっていますね。

スーパーマツモトでも、良い子達が書いた短冊が、笹竹に結ばれていました。
「海に行って、泳げるようになりたい。」^^
「お姉ちゃんが、結婚できますように。」(爆)
「消費税、値上げ撤廃!」(誰が書いたやら?)^^;

我が家では、七夕に特別な飾り付けや行事はしませんが、風鈴に短冊を吊るすくらいです。
今年は適当な錘になる紙がなかったので、CDをカラス除けを兼ねて吊るしました。
1.キラキラと陽光を反射して、涼しげな音を奏でてくれるでしょう。^^

今日の七夕には、ベランダで夕焼けを見ながら、ブレンド焼酎「七日月」でもロックで飲みつつ、夕涼みしましょうか?^^
いやはや、京都の夏は暑く、昨日からはエアコンで除湿モードで涼んでますが、
風がサワサワと吹き通って欲しいものです。
やはり短冊に「謹請風神、吉祥到来」とでも書く方がいいかしら?
2.神棚の神々に伺いを立てても「影響なし」の卦が立つばかりでした。^^;

さて、皆さんは七夕には、何を食しますか?
古来、この日の夜の食事には、朝廷では中国の故事に基づき、索餅を食しました。
索餅とは、小麦と米の粉を練って細く紐状にしたものを二本の縄のようにない合わせたもので、
その形態から「むぎなわ」といったようです。
江戸時代になると、それまでは食べていた索餅を梶の葉に包んで梶の皮でくく り、屋根に投げ上げましたが、
これも七夕送りの一種と考えられます。
索餅は後世、素麺に変わり、七夕に素麺を食する始まりといわれています。

私の今日の朝食は、昨日の揚げだしナスとネギを散した、冷やしぼっかけ素麺でした。
日頃は昼食抜きですが、今日は腹が減るかも?^^;
夕食は、七味を利かせた料理でも作りましょうか?
山の神に伺いを立てて。(笑)
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