昨日のニュースは、アップル社の創業者であるスティーブ・ジョブズ氏の死を悼む記事が多くを占めた。アップルが世界一の資産を持つ企業に成長したのも驚きだが、ジョブズ氏の死を悼む気持ちをオバマ大統領から世界中の一般市民まで表明したのも、これまでの一企業の経営者にはなかったことではないだろうか。

私自身、昔からアップル製品の強烈なファンであったわけではなく、その真髄が分かりだしたのはこの10年くらいだと思う。しかし、少し前にiOS/iCloudについての記事を書いたように、昔からアップル・ジョブズ氏の製品・発想には何か触発されるものがあった。ジョブズ氏の訃報に接して、氏が私に教えてくれたものは何だったのかを考えてみた。

ジョブズ氏が私に考えさせてくれたものは、アイデンティティーとインターフェースの大切さである。氏は、この二つのものを徹底的に追及することによって、画期的なアップル製品を生み出して来たのではないか、と思う。そして、それは意識的だけではなく、無意識的な行為でもあったと思う。

アイデンティティーについて言えば、ユニークさである。アップル製品の場合、それは発想の斬新さであり、技術、パッケージング、デザインの洗練さであり、全体として唯一無二のレベルにまで高められていた。企業ブランドとしても、製品ブランドとしても理想の状態であり、熱烈なファンやマニアを創り出せるレベルである。

しかし、それは多くの人々にとっても明らかなことであろう。また、他に比肩できる例がないわけではない。私がそれ以上に歴史的な意味を持つのではないかと思ったのは、ジョブズ氏がアップル製品に体現させたインターフェースの重要性である。

マッキントッシュでマウス、iPod/iPhoneでタッチパネルやiTunesを導入して製品をヒットさせただけではなく、コンピューターやそれに類するものを一般の人々にとってとても優しい、楽しいものにした功績はあまりにも大きい。製品そのものの完結性に隠れて目立たない一要素ではあるが、私は大変深い意味を持っていたと考えている。

それは、異質なものを繋ぐインターフェースには大きな革新やビジネスチャンスがあると言うことを教えてくれている。

マウスはコンピューターへの指示を助けるマン・マシン・インターフェースであり、タッチパネルはその進化版で、指による直接入力だから、もはやマウスのような小道具も必要としない。

考えてみれば、最近興隆を見せているソーシャル・ネットワークサービス(SNS)も人と人をつなぐインターフェースであり、そもそもコンピューターやソフトウェアそのものが広い意味でのインターフェースと言える。

インターフェースは、異質なものの間に立ちはだかる何らかの障壁を低くして、異質なものどうしをブリッジングしてくれる。それによって本来異質なものどうしが融合して創造する価値は非常に大きなものとなるはずだ。当然、ビジネスとしても大きな市場、シェアを生むこととなろう。

私はジョブズ氏が、自ら創業した会社であるにもかかわらず、一端はアップル社から追放された形になったことが強く記憶に残っていた。その真相を深く知ることもなかったが、今回ジョブズ氏の人生全体がどのようなものであったかを知りたくなって、Wikipediaで氏の誕生から死までの歴史を紐解いてみた。

そして驚いたのが、氏の人生が、アップル社からの追放だけではなく、最初から最後まで休むことのない波乱に富んだものだったことだ。それは成功者のイメージとコントラストをなすように、全く生易しいものではなかったのだ。

そんな状況の中でジョブズ氏は様々なものを生み出していくのだが、それを可能にしたのは、何か衝動に突き動かされるような氏の発想や行動だったのではないか。私には、それはジョブズ氏自身が自らのアイデンティティーを希求する無意識の飽くなき願望だったように思える。

そして、それがマウスやタッチパネルの導入と言う一見アイデアの一つに過ぎないと思えるものに深遠な意味を見出し、こだわることに繋がったのではないだろうか。

あらゆるインターフェースは結局のところ人間に繋がることが目的だ。そのインターフェースに関する徹底した検討や斬新な着想は、やはりどこかで人間に対する本質的な考察や深い思いやりがなければ不可能なのではないか。

アップル社の創業まもない1980年に、私は職業技術教育の研究のためにアメリカの大学院と研究所にいた。コンピューターそのものが珍しかったその頃、既に、アップルのどこかかかわいらしいコンピューターが教育の現場で異彩を放っていたことが強く印象に残っている。創業当初から教育や教育の現場を重視していたことも、ジョブズ氏のアイデンティーや人間に対する姿勢に深く関係していたに違いないと思う。

ヴィブランド・コンサルティング
代表取締役 澤田康伸