200X年 2月14日


こんにちは。

RINです。

今日もあなたとここで出逢えたご縁に感謝です。

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200X年 + 1年の8月21日 午後


パソコン作業中

要件を思い出したある人の携帯電話番号を検索

途中、

京都で1年ほど一緒だった

ちょっと懐かしい仕事仲間の名前が表示される

ものすごく人当たりの良いバリバリの営業マン

私が京都を離れてしばらくして

彼も独立!

京都の広告媒体活用のプロである。



そういえばここ1年半ほどご無沙汰

近況報告と急に声が聞きたくなったこともあって

そのまま発信


コールしている

4回目のコールで

いぶかしそうな ・もしもし・ の声

??! 女性である。


ちょっと慌てて

「すみませんがNさんの携帯でしょうか?」

違いますという返答。


念のためもう一度聞き返す。

「Nさんの携帯ではありませんか。」

同じ返答。


詫びを伝えて電話を切る。

・・・・。




急にイヤな予感が頭を走る。

ばかな!

走った予感を100%打ち消す。



けど、

独立した人間が

簡単に携帯電話番号を変える筈がない。

それも

Nは営業畑の人間なのだ。



携帯番号とともに控えてあった

Nの自宅に電話をしてみる。

独立後は仕事用のFAXに使っていた番号だ。



コールしている。

頼む出てくれ。

どういう訳か願っていた。

・・・何故だ。




ちょうど10回コールしたところで

留守電に切り替わった。

※Nは独身でお母様と二人暮らしと聞いていた。

伝言は残さずにそのまま電話を切る。



少し考えて

京都で一緒に仕事をしていた当時

よくお世話になっていた

バックヤードの女性スタッフの番号を探す

彼女ならNと懇意だったから

連絡先がわかるだろう。



午後5時少し過ぎ

まだ仕事は終わっていないだろうが

かまわずにコールする。



頼む!

出てくれ。



4回目のコールで出てくれた。


ひとしきりの無沙汰のあいさつの後


「ちょっと急で悪いんやけど、

Nはんの連絡先を教えて欲しいんです。

さっき電話したら違う人が出て・・・。」

・彼はその人柄からかNさんとは呼ばれずに
 Nはんと呼ばれていた。



一瞬の沈黙の後

・・・
・・


『Nはん、亡くならはってんよ。

2月に、ええっと去年の。

ちょうどバレンタインの日

そう、2月14日に・・・。』




Nは、たまたま私と同じ高校出身で

彼が2学年後輩であった

そんなこともあり

RINさんね、RINさんは、

とよくもろもろのことを相談してくれた。



思い返せば

体の調子がおもわしくなく一度入院して

無事退院後に励ましの電話をしたのが


最後、だっけ。

いやいや、その後も何度かお互いの近況などを

どちらから連絡する、という訳でもなく

メールのやり取りもあった。ハズ。



Nはんにも伝えようと

お互いにガンバロな、と

Nはんが亡くなったことを知った日に

ちょうどその日の昼に

私があるブログで見つけ感動した一説を

鎮魂の意を込めて

ここに記します。




*****

ともすれば

夢を捨てて

現実的に考えるのが

大人になることのように社会は教えている

・・・しかし、

本当は大人になるってことは


「夢を現実の形に変えていく」


ってことではないだろうか、

そんな生き方素敵ですよね


*****




Nはん

あなたの生き方は素敵だったですか。

あなたの人生は夢をカタチにできましたか

死にゆくとき

あなたのココロには満足の二文字がいくつありましたか

どんな後悔がありましたか



一生ってなんだったですか

楽しかったですか

面白かったですか

冗談いっぱい言えましたか

Nはん



やりたい仕事できましたか

自分が思うように行動していましたか

仲間つくれましたか

あたらしい友人や恋人・・・。



やすらかに

やすらかにねむっているのですか

やすらかに

やすらかに



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(Nはんの思いのままNはんがやすらかにねむっていますように。)

あなたの死を今日知った、間抜けな先輩より。