07年10月03日
機械要素展を見学
当社のお客様がインテックス大阪で開催された「機械要素展」に出展された。
当社は、出品商品を紹介するビデオ編集およびフラッシュ・アニメーション作成を行った。
ブースの賑わいを見るとモニター効果もあるような感じがする。
他社のブースを見たがパネルだけの展示は少なくなっている。
最後は、人による接客がポイントになるが、このような仕掛けも賑わい感には必要と思った。
当社は、出品商品を紹介するビデオ編集およびフラッシュ・アニメーション作成を行った。
ブースの賑わいを見るとモニター効果もあるような感じがする。
他社のブースを見たがパネルだけの展示は少なくなっている。
最後は、人による接客がポイントになるが、このような仕掛けも賑わい感には必要と思った。
07年09月24日
求めない
営業の基本は、売り込むのではなくて、商品を語ることでお客様の心を動かすのである。
「感動マーケティング」と呼ぶ方もいるが、相手に「語る」方法に個人差が出るのである。
心の底に売ろうという魂胆があると笑顔にも曇りがあるので、相手を感動させないのである。
「100発100中のクロージング」などというテクニックよりも、むしろ、「商品」に惚れこんだ状態ならば、自分の感動を自分の言葉で語るので「腑に落ちる」のである。
何事も「知識・経験・根性」の3拍子が揃うことが重要なのだが、その商品を使った「生の経験」やその経験の積み重ねに裏打ちされた「根性」というものがオーラのようにお客様の心に光輝くのである。
「求めない」という事は、相手の心をオープンにする最大のキーワードである。
そのオープン・マインドに、如何に染み込んで行くかという「絡み方」が課題であり、多くは、楽しい・おもしろい・うれしいなどがそれに当る。
そういうマーケティング法を開発して行きたい。
「感動マーケティング」と呼ぶ方もいるが、相手に「語る」方法に個人差が出るのである。
心の底に売ろうという魂胆があると笑顔にも曇りがあるので、相手を感動させないのである。
「100発100中のクロージング」などというテクニックよりも、むしろ、「商品」に惚れこんだ状態ならば、自分の感動を自分の言葉で語るので「腑に落ちる」のである。
何事も「知識・経験・根性」の3拍子が揃うことが重要なのだが、その商品を使った「生の経験」やその経験の積み重ねに裏打ちされた「根性」というものがオーラのようにお客様の心に光輝くのである。
「求めない」という事は、相手の心をオープンにする最大のキーワードである。
そのオープン・マインドに、如何に染み込んで行くかという「絡み方」が課題であり、多くは、楽しい・おもしろい・うれしいなどがそれに当る。
そういうマーケティング法を開発して行きたい。
07年09月22日
お彼岸
一昨年、父が他界してから仏事を行なうことが多くなった。
今日は、午前中、お客様を訪問して商談を済ませて、お昼から母とお墓参りに行って来た。
盆の時は、雑草が沢山生えていたが、今回は殆どなかった。
雑草も時期があるようだ。
そんな雑感を持ちながら帰って来た。
今日は、午前中、お客様を訪問して商談を済ませて、お昼から母とお墓参りに行って来た。
盆の時は、雑草が沢山生えていたが、今回は殆どなかった。
雑草も時期があるようだ。
そんな雑感を持ちながら帰って来た。
07年09月21日
「こだまでしょうか」
先日、BBC4IT(情報産業交流会)の例会にオブザーバーとして
参加しました。
基調講演はケイ・オプティコムの田邉社長が
「変化する情報通信環境とケイ・オプティコムの対応」
と題して90分の講演がありました。
この最後に、金子みすずさんの詩「こだまでしょうか」
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「ばか」っていうと
「ばか」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
そうして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、だれでも。
をご紹介されて締めくくられました。
さすがケイ・オプティコムの田邉社長という鮮やかさを感じました。
参加しました。
基調講演はケイ・オプティコムの田邉社長が
「変化する情報通信環境とケイ・オプティコムの対応」
と題して90分の講演がありました。
この最後に、金子みすずさんの詩「こだまでしょうか」
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「ばか」っていうと
「ばか」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
そうして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、だれでも。
をご紹介されて締めくくられました。
さすがケイ・オプティコムの田邉社長という鮮やかさを感じました。
07年09月17日
先生となる
私は、コンサルタントとしてお客様から「先生」と呼ばれるのですが、儀礼的な「先生」は遠慮したいので「栩野さん」と読んでもらうようにしています。
それでもお客様は遠慮されて「社長」と呼んでくださるのですが、本当の意味では「栩野さん」で構わないと思っています。
しかし、長くお付き合いをしていますと自然に「先生」と呼ばれるようになって、それが違和感がない状態になって来ます。
私は、この時に「先生となった」と感じるのです。
殆どのお客様は月に1回しか訪問しないのですが、私の場合、「Fax」や「Web」でコンテンツづくりを行い貢献できるので、会議で決めたことを反映したコンテンツ発信でお客様の営業に貢献できているので、そんな背景から「先生」という存在になっていると分析しています。
「コンテンツ」という一点でお客様との関係が深まっているのです。
そういう状態ならば、業績にも貢献できていますので、「先生」として緩急をつけてご指導できるのです。
ホントに「先生となる」は難しいが遣り甲斐のある事だと思っている。
それでもお客様は遠慮されて「社長」と呼んでくださるのですが、本当の意味では「栩野さん」で構わないと思っています。
しかし、長くお付き合いをしていますと自然に「先生」と呼ばれるようになって、それが違和感がない状態になって来ます。
私は、この時に「先生となった」と感じるのです。
殆どのお客様は月に1回しか訪問しないのですが、私の場合、「Fax」や「Web」でコンテンツづくりを行い貢献できるので、会議で決めたことを反映したコンテンツ発信でお客様の営業に貢献できているので、そんな背景から「先生」という存在になっていると分析しています。
「コンテンツ」という一点でお客様との関係が深まっているのです。
そういう状態ならば、業績にも貢献できていますので、「先生」として緩急をつけてご指導できるのです。
ホントに「先生となる」は難しいが遣り甲斐のある事だと思っている。



