2013年 8月の記事一覧

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13年08月21日 15時53分38秒
Posted by: yanagizawa


 1978年末鄧小平による改革開放の大号令以降、中国人の食生活は驚くほど多様化、国際化していますが、以前は北京でも外国料理店は極めて少なく、私が初めて駐在した
1965年には、日本料理では王府井の東側に少し入ったところに「和風」と言う日本料理屋が一軒のみあったが、文革が始まると閉鎖されてしまいました。開放政策が実行され始めて最初にオープンした日本料理店は北京飯店2階の東端の「五人百姓」です。
「開放」以前、我々外国人は「糧票」がない為、一般のレストランでは食事ができず、
ガイジン用ホテルか指定された高級料亭のみでした。これ等料亭は北京全体では数十軒あったと思われますが、今では相対的に特に高級とも言えませんが、老舗(老字号)として伝統的サービスと味がウリモノと言えるでしょう。但し一部は昔の“良きサービス”はなくなってしまいました。効率が悪いからでしょう。若干紹介致しましょう。
1、 全聚徳(北京ダック):本店は前門外ですが、昔は焼きあがる工程も見せてくれましたが、今では無理でしょう。一般席で予約なしで行くなら、当日は昼食をぬいて午後4時半ごろ行くと良いでしょう。コース料理がお奨めです。王府井街東側にもありますが、味やサービスは類似です(建屋は現代的)
2、 四川飯店:瑠璃廠と前門外の間にあり典型的な四合院の再利用ですので、特に頼んで、伝統的な豪邸見学も加えれば一興でしょう。本場程は辛くはありません。
3、 晋陽飯荘(山西料理):四川飯店の近くだったと思うが、刀削麺の実演は見ものです。又酸辣湯、揚げダックが印象に残っています。
4、 方(実際は人偏が付く)膳飯荘:北海公園内の回廊北端にあり、満州族(清朝)宮廷官女の踊りも見せてくれます。天壇公園の北側にもあり、いずれも宮廷料理がウリモノです。
5、 大観園飯店:貴族社会の男女の愛憎を描き源氏物語類似の長編小説、「紅楼夢」の舞台となった大観園(陶然亭公園西方で旧市街西南角の南菜園にある)の西側
に20年前オープンのホテルだが、この中のレストランでは「紅楼夢」物語の中で
食される各種料理が楽しめる。上述の方膳料理より高級、高価との印象があるが、
各種の綺麗な器に少しずつ盛り付け、日本の京料理を思わせるものがある。
6、 同和居:箸、碗、歯どれにもくっ付かない「三不粘」と言う、軟らかい餅が   ウリモノで、西単にあったが、今尚あるかどうか不明です。
7、 東来順:伝統的なしゃぶしゃぶレストランで、元々王府井街の東北端にあり、タレ(調料)も11種類も用意してありサービス満点でしたが、いち早く現代的経営になってしまい、効率第一でファーストフッド店の感じになったが、全国展開しており企業経営としては大成功の様だが、「老北京人」としては、ややさびしい。
8、 烤肉季:北海公園の北側、鼓楼の西側の宋慶齢旧居に面して后海と言う池があるが、その北端のモンゴル風焼き肉店である。此処も東来順同様昔風のサービスがなくなってから10年以上も行っていないが、最近の状況はどうでしょうか?零下10度以下の月が煌々と照る寒い冬の夜、半ば外とも言うべきベランダに直径1mもある大きな釜を設置し、その上の指ほどもある格子状の網の上で、羊の肉をわしづかみにして焼き、生卵やニンニクも一緒に焼いて食べたことを懐かしく思っているが、今はすっかり韓国(朝鮮)風の焼き肉店に席巻されている様です。
9、 長安街の西単寄りの南側に鴻賓楼と言うイスラム風のレストランがあり、最も料理し難いと言われるラクダのアキレス腱をトロトロに煮込んだ料理や牛の尻尾の料理が有名でした。多くの貿易公司は長期契約している様でしばしば此処で接待されました。
10、 更に歌舞伎風の動作や掛け声で客を案内する四環北路にあった北京老炸醤麺、前門外の豊澤園飯店(北京料理の元祖と言われる)、上海正興菜館、北京展覧館に
 付設されていた莫斯科(モスクワ)餐庁等も時々利用したものです。

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       http://www.consultanto-blog.com/yanagizawa/
             Mail add: knhr-yana@jcom.home.ne.jp

 

13年08月03日 12時45分07秒
Posted by: yanagizawa

 中国の水問題は年々深刻になっていますが、皆さんの滞在されている地域の状況は如何でしょうか?!私の体験談と知見に就いて若干紹介しましょう。
1、 昔から中国では生水は飲めない、水道水も一度沸騰しないと飲めないと言われていました。どこのホテルでも客室には必ず保温瓶が2本置いてありました。一本はお湯(開水)で、もう一本は湯冷まし水(涼開水)でした。改革開放前、ミネラルウォーターは崂山鉱泉水(山東省青島市近郊の崂山の清水)一つの銘柄(硬軟二種)のみで、国家的宴会にも出されていました。崂山水はかなり昔から有名で、ドイツが青島ビールの始祖となるビール工場を百年前に造ったほどです。
2、 北京の水道水は比較的水質が良いと言われていたので、そのまま飲んだことがありますが、天津、上海、広州等の水道水は昔から絶対にそのままでは飲んではならないと言われていました。北京の水源である密雲ダムには仕事で何度か行きましたが、水質は比較的良いものの、官庁ダムや懐柔ダムの水質は素人目にもあまりよくなかったと記憶しています。絶対量不足の為「南水北調」として大運河とも呼べる様な用水路を建設し、長江の水を北京等華北まで引いてくる大事業が現在続けられています。取水地は長江の中上流、中流、下流の三か所で用水路も3本になっています。中国の華北地区はほとんど毎年水不足に見舞われ、一方華南地区では毎年の如く洪水に見舞われ、分洪政策が定着している程である情況は以前紹介した通りです。「南水北調」は合理的とも思えますが、問題は中国の殆どの地域で水質悪化が水質改善努力を上まって進んでいることでしょう。
3、 中国の環境保護については、文革時代(1967年)北京首都鋼鉄廠を参観した時に排水処理した後の水を溜めている池に鯉や金魚が泳いでいるのを見せられ、「中国の三廃処理は日本も見習うべきでしょう」と言われたが、その後の中国の状況を見るとウソの様な話になってしまいますが、事実です。尚「三廃」とは環境汚染になる廃棄物の形体を液体、紛体、固体の三種に分けていた為です。上海ではホテルの水も薄茶色ですが、ヒルトンホテルでは水道水を再度濾過して使用しています。
4、 改革開放政策で経済面では著しく発展してきた中国ですが、環境汚染はひどくなる一方です。国境を越えて広がる大気汚染では国際的ルールが先進国に有利であり、発展途上国である中国等には、一定の猶予期間や規制基準への配慮を求めていましたが、現状は中国自身深刻に認識せざるを得ないレベルにまで至っていることは周知の通りです。中国全土の河川や湖沼の33%は生活用水のみならず、工業用や農業用にも使用不可になっているとの報道もあります。更に最近では地下水も類似状況になっていると報道される様になりましたが、これは極めて深刻な情況です。地下水の水質改善は地上水とは異なり、どんなに努力しても10年や20年では改善不可能な場合が殆どで、大気汚染とは比較にならぬ程深刻です。地下水を工業用水として使用する必要がある場合は、十分な事前調査が必要です。
5、 私は環境関連事業に従事する中国人達と一年余仕事をしたことがありますが、彼等の努力や憂国の情を知るだけに、一日も早く中国の行政関係者、企業責任者から一般市民に至るまで、経済成長以上に環境保護が重要であることに、心底気付いてほしいと念じています。

 

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