2012年 7月の記事一覧

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12年07月30日 20時57分03秒
Posted by: yanagizawa
生真面目な話から離れて、私が長期間生活した北京、上海、武漢、大連等の日本人はあまり参観、見物しないと思われる若干の推奨地(穴場)をご紹介しましょう。
先ずは北京から:
推奨点は大観園、白雲館、龍慶峡、頤和園の北側、恭王府です。
1、大観園:約250年前に書かれた中国を代表する長編小説、「紅楼夢」の主な舞台となる邸宅群が散在する。主人公の賈宝玉の姉、元春は貴妃に取立てられた為、帰省用邸宅として皇帝より賜ったことになっている。公園風の12万㎡の屋敷に小説に登場する主要人物の住宅や若い貴族の男女の交遊場所も再現されている。20年余前に紅楼夢の連続テレビドラマが放映され、時を同じくしてこの架空の邸宅が建設された。私の北京在住期間中、10回以上参観したが、最近では樹木も大きくなり“自然な風格”を帯びてきた。然し、住居群の寸法が3/4に縮小して建設されているので、やや小振りの印象が残るが、参観時には頭に入れておく必要がある。興味のない人には信じられないことだが、小説中のことであるにも拘らず、ヒロインの林黛玉が、賈宝玉と結ばれることなく、乙女のままで早世してしまうので、この書が世に出て以来、それを知り悲観して自殺した若者が何人もいる由。場所は、旧市街西南角の南菜園で、西側に大観園酒店と言うホテルが隣接されており、その餐庁では貴族料理(私には京都の和風料理の印象がある)が食せるが、「倣膳」の宮廷料理より高級で、価格も高価だったと記憶する。詳細はインターネットで検索可能。
2、白雲観:道教の代表的寺院であり、ここには道教協会の本部や道教学校もある。
中国独自の伝統的宗教は道教であり、神話時代を含めご先祖様等を祀る点では日本の神道に類似していると思われる。中国人の伝統的風俗習慣への理解を深めるには是非参観される様お薦めする。他の道教寺院でも、当然お釈迦様(仏像)はないが、観音様を祀っている道教寺院はあり、かなり大らかである。歴史上の有名人物、関羽を関公と呼んで、その像を良くレストランや風俗業店入口に置き、財神にしているのも道教的風俗である。
場所は復興門外大街の「工会本部」の南側にある。
3、龍慶峡:長城の昔からの参観場所は北京の北北西70km先の八達嶺であるが、更に20km北に進むと、堰で仕切られた龍慶峡がある(少し手前は延慶、その西方は北京市民の水源の官庁ダム)。夏は乗船納涼を楽しみ冬はハルピン氷祭りの小型版を楽しめる。
4、頤和園:代表的な北京の観光地で、西太后が海軍費用を流用して増改築したとして有名だが、東門から入る一般的観光順路とは別に北側からも入れる。すると華北人が憧れた江南地方を代表する蘇州の模倣街があり、昔の銅銭に交換し買い物も楽しめる。
5、恭王府:誰でも知っている北海公園の北側には前海、後海と小さな湖が続いているが、後海の南西側に250年前建設の皇族の御所である恭王府(インターネットで検索可能)がある。生活の場としては皇帝の故宮より豪勢だったと私の目には見えた。
   
    柳沢経歴 http://www.nakatsu-bc.co.jp/komon/komon-2.html
    Mail add. Knhr-yana-@jcom.home.ne.jp
12年07月17日 12時44分37秒
Posted by: yanagizawa
  中国各地で仕事をし、生活をされたことのある日本人にとっては、中国はやはり
  広大で地域によって風習や気性もかなり異なるなと感じておられると思うでしょう。 地域差で特に印象に残る事例を若干紹介しましょう。
  1.昔からよく聞いたのは、中国人の喧嘩の仕方です。「広州等南方では気短の人が 多くまず殴り合いをして、それから何故殴ったか口争いをする。武漢や南京等華中地域では、口喧嘩がやがて殴り合いになる。然し北京等北方では、延々と口喧嘩をするが、決して手出しはしない」というものです。華中地域や北方での喧嘩の様子は随分と目撃しましたが、上海では北方同様口喧嘩主体だったとの印象です。勿論例外はあります。又、夫婦喧嘩も家から外に出て、近所に聞こえるようにわめくと言う。日本では「夫婦喧嘩は犬も喰わない」と言われ、他人は口出し無用と受け止められています。これは激しい口喧嘩も突然、“甘いいたわりあい”に変わるからでしょう。
  2.30年も前の話ですが、「上海は北京と東京の中間さ!」という、小話を聞いたことがあります。上海人も北京人もこう言うが、意味するところは真逆です。北京人は「上海の奴らときたら、話が早くチョコマカ動き回り油断できない。尤も東京人程ではないが!」と言い、上海人は「そうさ!我々は北京の連中の様に、頭の回転も動作もノロノロしていない。尤も東京人には及ばないが!」と言う。尚、この頃の中国人の所得レベルは日本の2-30分の1でした。日本人の生活レベルが高いのは、「原材料を安く輸入し、製品を高く輸出するからだ」とは、随分聞かされたが、今では比較的客観的に見ているのではなかろうか。
  3.中華料理と言っても、北京、上海、四川、広東の四大分類があることは誰でも知っていると思われるが、ある土地に行ってもホテル、高級レストラン等とその土地の人々が日常口にしている料理では随分違う。昔成都に出張した時、毎日口にしているホテルの料理は、それ程辛くもシビレも感じず、同行していたメーカーの技術者より、「折角四川省に来ているのだから、典型的な本場の四川料理を食べたい」との要求が出され、それを現地の客先工場の方々に伝えた。すると、帰りがけに田舎風サービスエリアに立ち寄り、案内担当者がその意向を店の主人に伝えたところ、初めての外国人客の来訪で、本場の味を賞味したいと知り、張り切って料理を作り出された。想像通りで口も食道も辛く、痺れてしまい、口直しのビールも冷たいのはなく、時期も7月下旬の猛暑の季節で散々な目にあったことがある。
   一方、現在人口比率では漢民族が7割を越えている寧夏回族自治区の北端の町で2年間仕事をしたが、この地域には「漢餐」との看板を掲げた中華料理店はあるが、既に味付けは半ばイスラム風に変化している。湖南省のみならず、湖北でも辛い味付けが一般的なので、要注意である。又東北地方の料理は概して塩分が多い。
   中国人の日本料理への、典型的な評価は「清淡」であり、味が薄くさっぱりしているが、健康に良い“長寿食”である、というもの。
柳沢経歴 http://www.nakatsu-bc.co.jp/komon/komon-2.html
Mail add. Knhr-yana-@jcom.home.ne.jp
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