2015年 9月の記事一覧

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15年09月30日 11時50分52秒
Posted by: yanagizawa

  かなり以前の話だが、仕事の関係もあり長年交流していた国営の貿易公司(会社)の担当者より一理あるなと思われることを指摘されたことがある。彼は何度も来日しており、かなりの日本通だった。雑談の折、彼は「日本人は生真面目で、潔癖症、更に仕事は緻密であるので、モノづくりにはぴったりだ。然しそのような国民性の為、あまり商売上手ではない。商売は我々中国人に任せてくれ、モノづくりに専念したら良い」と言う。勿論非現実的な話ではあるが、国民性の相違点をよく分かっているなと思わされた。
  中国の工場でQC(品質管理)活動を徹底させるべく、社員指導に従事されている方々には思い当たると思われるが、5S活動やホウレンソウ(報、連、相)の徹底を呼びかけると、陰で愚痴をこぼしながら、「日本人は神経質で、うるさくて困る」と非難がましいことを言い合っていないでしょうか。一方では日本や欧米の商標や特許など無断借用している事例の多い中国ですが、変な知日派の人間は、元々日本の古代文化は中国のモノマネではないかと、逆襲してくることがあります。この様な時みなさんはどう対応されているでしょうか?
 以上の様な状況に対して私の対応してきたことを、若干例示すると:
1、 古代文明では沢山の文物が大陸から日本に渡来したことは間違いないが、その時代に 適合した方法で招来し又は学んだものであり、盗用ではなかった。更に重要なのは、単に模倣するだけではなく、創意工夫し改良改善し、洗練したものにしたことである。
2、 日本の現代文明は、単なる古代文明の継承や、欧米文明の導入ではなく、工場での生産工程に例えるなら、後工程、時には最終工程とも言える。 従いより緻密、厳密でなければならない。それが既に習慣化し、日本の伝統となっている。
3、 中国蘇州の伝統的な土産品に、子猫を両面刺繍したものがあるが、緻密さが欠如したり、一度でも刺繍針の手順にミスがあったりすると、やり直しができないことを現場見学したことがある。中国人だってやれば出来るのだ。
私は中国での生産現場を離れて6年になるが、今現在中国で仕事をされている皆さんにはもっとやりやすいのではないでしょうか?それは中国から日本への観光客が急増しおり、爆買いをしているのは、何故かと問えば済むでしょう。私は今でも毎年中国に旅行し、中国の旧友達を訪ねているが、訪中前に何かお土産に欲しいものがないか、尋ねると気を使って比較的安いものを言うが、それらはほどんど原産国は中国である。そう指摘すると、中国産でも良いので、日本で買ってきて欲しいと頼まれることです。一度日本に輸入されたものは、日本人の手により品質指導して作られたか、又は検査されたものなので安心、同じブランドでも中国で売られているものには手抜き商品が多く、時には偽物をつかまされると言うことです。
 東洋文明を生み出した民族の子孫として、名誉にかけて斯様な状況は早急に克服して欲しいものです。

  お願い:私のブログに対し、ご意見やご異論、ご遠慮なくお寄せください。
 「参考になるとか役に立つ」とのことでしたら、お知り合いにもお奨め下さい。

  柳沢経歴:以前のURL表記にミスあり、下記にてよろしく。 
        https://www.consultant-blog.com/yanagizawa/
                   Mail add:knhr-yana@jcom.home.ne.jp
以上

 

15年09月09日 15時08分11秒
Posted by: yanagizawa

戦後70年もの長い間何処の国とも戦わず、平和な社会で過ごして来た日本人の常識は中国のみならず、多くの国々とはまるで異なり、いい意味で世界の非常識となっているが、鎖国を続けて来た江戸時代同様殆どの日本人はそれに気付いていない。即ち見知らぬ他人への親切や清潔好き、一寸したことでも「すみません」と言う生活習慣等です。来日外国人の増加や各種の国際交流の増加等ますます国際化が進んでいる現状を鑑みると、嬉しい反面海外生活が26-7年に及ぶ私にとっては心配の種でもあります。
  2002-04年の2年間仕事の関係上、北京の西方1,000㎞の寧夏回族自治区の北端の街である、砂漠の中のオアシスとも言える石嘴山市で単身中級のアパートに住んでいたことがあります。オアシスと言うと、多くの日本人は砂漠の中の緑化都市でもあるかの如く、美しいイメージを持ちやすいのですが、現実は砂ぼこりやゴミだらけであり治安もあまり良くありません。赴任後秋口に入ると風呂(電気ヒーターで沸かす力の弱いシャワー式)に、冷たい外気が入り込むので窓枠を改造して貰った。ところが頼みもしない鉄格子も一緒に取り付けられていた。他の住民の部屋の窓も注意して見ると、ほとんど鉄格子がはめられていた。入口は木製の扉の他に防盗門と呼ぶ鉄製の扉は入居前から付いていた。現在は更にアパート群の団地の入り口には守衛所があるのが普通となっており、高級マンションだとアパートの一階の入り口で暗証番号を押さないと、建物自体に入れないのが一般化している。日本の常識からは想像し難い状況だが、最近テレビで紹介される各種海外での生活状況を見ると大同小異であり、日本のみが特殊だと分かります。
  又ジョギングを愛好する私は、この石嘴山市でも少しでも空気のきれいと思われる車道でない道を走っていたが、外国人の殆どいない小さい町なので、職場の中国人同僚達にも知れ渡り、一つの忠告を受けた。それは「先生の走っている通りは大変危険です。外国人だとすぐ分かり、外国人は金持ちのはずだとして、腕時計など金品を強奪される恐れがあります」とのことであった。犯罪に遭うと被害者の方が非難される様に何時の間にか国柄が変ってしまった中国ですので、止む無く街中の大通りを走ることになった次第です。中国で今現在居住されている皆さんに、ついでながら一つ助言致します。買物等で日本人は手荷物を足元に置きがちですが、それは絶対に止めて下さい。必ずカウンターの上に乗せるか、地上に置かざるを得ない場合は通路側でなく、店員のいるカウンター内に置いて下さい。置引する連中は何人かでグループを作りリレー式に強奪した金品を持ち去るので、取り戻せる可能性は略ゼロです。
 以上は中国の現状の一端ですが、私が初めて訪中し、駐在した1965年頃は全く異なった様相でした。当時は国交がない為香港経由でしたが、香港のホテルやデパートには印度人等屈強の男がガードマンとして立っているのが随分目についたが、中国国内では完全にゼロであった。ホテルにチェックインしても部屋に鍵を掛ける習慣さえなかった。当時日本の新聞でも「中国には泥棒とハエはいない」と報道された位であった。残念ながら中国経済の発展に反比例して治安状況はますます悪くなっています。騒乱発生(100人以上)の数も年間20万件以上、炭鉱事故でも死者20人未満なら報道しないと言われる位になってしまった。

  9月3日の天安門前のパレードで、北京の青空を、テレビを通じて久々に見たが、以前は「北京的秋天」と言われるくらい、北京の空はきれいだった。1965年10月1日の建国16周年記念パレードには天安門前の観閲台に招待されたが、パレードの主体はいろんな業種や民族を象徴するものだった。久々に良き時代の北京を思い出させられた次第です。  以上


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