閑話休題、難しい話は暫時脇に置いて、上海でのホテル関連についての思い出を紹介し現在の状況がどうなのか、特に上海在住の皆さんに問いたいと思う。「上海オールドジャズバンド」は、現在和平ホテル北楼の北口より入った一階の右側で営業しているはずですが、もう往時のジャズマンは殆どいないでしょう。然し私が上海に駐在した1980年頃は現在の花園飯店の場所に錦江倶楽部の大きな建物があり、其の一階の中央部で営業していました。元々フランス租界の中心的なところで、戦前からのジャズマン達が大いに活躍していました。当時珍しかった缶ビールなどを差し入れし、演奏曲目をリクエストして演奏して貰ったりしたものです。花園飯店で再利用されている茂名南路に面した2階のオーバルルームは元々ダンスホールでした。
1、 東湖賓館:淮海中路に近い別荘風の建屋で客室は20にも満たないものでしたが、1980年4月1日に着任すると身元引受人であった上海外貿公司は何故か、私の滞在用にこのホテルを手配していました。ぶらり旅には優雅なホテルでしたが、今はどうなっているでしょうか?仕事には不便でしたので、交渉結果10日後には和平飯店に引っ越した次第です。
2、 和平飯店:当時は上海丸の内とも言うべき場所で、北楼605号室を事務室に604号室を居住用に使用していたが、1929年創業の古いホテルだった。部屋には衣装室やマッサージ室も付設されており、浴室も大きく豪華でした。当時部屋代は5000円足らずで、多くの商社は此処に拠点を置いていました。11階の食堂は外灘に面しており時々鳴る汽笛を聞きながらの毎日の食事でした。1965年の初訪中時にも此処に宿泊しましたが、12月24日にはクリスマスイブを祝ってくれ、年末には年越しそば、元旦にはお雑煮を提供してくれる等きめ細かいサービスに感激したものです。今はより高級ホテルになった由。
3、 瑞金賓館:地下鉄の陝西南路駅近くにあったが、広大な庭園の中に4号楼まで
あった。1985年からの北京駐在の時毎月の如く上海に出張したが、ホテル不足で止む無く何度もこのホテルに宿泊した。私の利用した4号楼の2階は宋慶齢孫文夫人も愛用したと言う部屋で、上海外貿公司の人達は羨ましく思ったらしく、商売が決まった時には、求めに応じてこの4号楼で招宴したこともあります。現況如何?
4、 静安ヒルトンホテル:1989-91年の3年間北京から上海出張時にはこのホテルに度々宿泊した。五つ星の高級ホテルだが、グリーンカード(居留証)保持者には
1/3の料金で泊めさせてくれたので、割安であったのとアメリカ流合理的サービスが気に入ったからです。アメリカ人の総経理は頻繁に巡回してサービス情況をチェックし現場指導をしていました。又水道水を独自に再度濾過して飲用可能にしていたのも感激でした。
5、 達華賓館:延安西路にあるが、よく利用した1985-6年頃は外国人よりも中国人の若いカップルが主として利用していました。ホテル側に聞くと地方の金持ちの子弟の新婚旅行用に利用されていたとのこと。当時は海外旅行等夢物語であり、花の都である上海への旅行は地方人にとっては憧れでした。食堂は夜8時には本来のサービスをストップして、ダンスホールに変更して営業していました。短期出張の日本のメーカーの人が、見知らぬ花嫁さんをナンパしてダンスをする様なこともありました。又北京から出張して適当なホテルの予約が取れずこのホテルの服務員の宿直室に一晩10元で泊めさせて貰ったこともあります。居心地の良いホテルでした。
  .....次回に続く.....

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