「事業仕分け」に続く「規制仕分け」が昨日始まった。行政刷新会議が今日まで2日間公開で行うという。2日間で何ができるのかとか、そもそも対象の抽出が不十分等々、なんと言う中途半端なという感じがしないでもない。「事業仕分け」も報道を当て込んだパーフォーマンスに終わり、実際の予算削減効果はさほどなかったとする批判もある。

しかしながら、私はこの種の「仕分け」は大いに効果ありとしたい。それは、私自身の公務員経験とコンサルティング経験、二つの言わば対極とも言える経験にも共通して現れる、ある種の普遍的な原理原則を反映していると思うからである。その原理原則とは、「変革期には原点に返ってゼロベースで考えないと、成功しない」という極めて単純明快なものである。

まず、公務員時代に立法過程に携わって実感したことは、一旦できてしまった法律の様々な条文は、無用というだけでは決して無くならず、害が大きくならない限り改正や削除の検討対象にはなりにくいということだ。単純化してしまうのは危険だが、これは安定を求める法制度や法体系の本質的な特性を反映していると思う。もちろん、既得権益の問題や、修正にはある種の変化のためのコストがかかるということもあるが、、、。

民間企業の場合も一旦確立してしまった組織や考え方が変わりにくいというのは行政機関と同じであろうが、トップの意思次第でかなり自由に変革をもたらすことができるという点で異なっているはずだ。しかしながら、私のコンサルティング経験では、そうではないような状況も多くあったように思う。

一番難しいのは、利害対立などの分かってはいるが取扱にくい問題ではなく、問題の所在自体に気づいていない、あるいは気づけない場合である。言わば様々な既成概念に無意識にとらわれている状態であることが多い。

かつてある外資系企業の人事制度を設計した際に、米国人の社長は能力主義を強化したいとは言うものの、ボーナスの査定幅の拡大には大変慎重であった。私は最初その理由が良く理解できなかったが、原因は「ボーナス」という既に定着した外来語の持っているニュアンスの違いにあった。通常、米国人にとってボーナスは利益配分として管理者層のみに支払われるものだが、日本人にとっては季節給的に全社員に支払われるものと言う違いがある。それは理解されていたのだが、能力主義の強化によってボーナスの査定幅を拡げようとするときに、米国人の社長は管理者層のボーナスのメリハリはまだまだ足りないと思っていたにもかかわらず、一般社員のボーナスがわずかでも査定されるということに対しては、混乱が起きないかと不安を感じていたのである。

既成概念は、普段はその是非を議論することもなく無意識に使っているので、その存在にさえ気付いていない場合が多い。そして、その議論が表面に出てきたり、その一歩手前のところで議論が進行すると、人々はやや感情的になったり、違和感や不安を覚えることが少なくない。既成概念とその背後にある多くの社会的な概念の体系を無意識に前提とし、それらが壊れていくことに対して防衛本能が働いている状態とも言えるが、その原因は本人や周囲も分からないことが多いのではないだろうか。

そういう風に考えれば、即ちゼロベースで既成概念の有無や是非から議論してみると言うきっかけを与えるために、「事業仕分け」や「規制仕分け」を実施することは、易しくはないが大いに意味があるのではないだろうか。

さて、経営における「仕分け」はどのように実施できるだろうか。事業の「選択と集中」は決断の問題だが、既成概念化あるいは既成事実化して議論の俎上にさえ上らないような重要な課題はないだろうか。経営コンサルタントの役割が第3者の視点を活かしてそのような課題を見つけることにあることも少なくない。しかし、経営者自らが「蓮舫氏」となって問いかけて見るのはもっと効果があるだろう。それはある種の自己否定の痛みを伴うこともあるだろうが、変革期を乗り越え、将来を手に入れるためには必要なことであるに違いない。

ヴィブランド・コンサルティング
代表取締役 澤田康伸