短期間に北朝鮮の金正恩委員長が三度も中国の習近平主席(以下敬称略)に会いに行く等、昨年までは考えられない状況が生じています。中国と親密だった兄の金正男を暗殺した事など考慮すると考えられない状況だが、日本の常識では今後を予測するのも極めて困難と言えそうです。
 手元に中国社会科学院編集、中国地図出版社発行の「中国歴史地図集」と言う貴重な資料があるので、その中で朝鮮半島がどう記載されているか参考までに紹介しましょう。
1、 この資料は近代に於ける満州国(日本の画策により成立したものではあるが)を、存在しなかったことにしている以外比較的公正に編集されていると思われます。尚、中華民国時代の地図の解説蘭の下辺に小さい文字で<清末の1897-1903年ツァーロシアはわが国の東北の鉄道権を略奪し、中東鉄道を修築した。ハルピンを中心として東は绥芬河より西は満洲里まで、南は旅順、大連に至るものであった。日露戦争後長春以南は日本に占領され、南満鉄と改称された>とあるのみである。現在中国では「満州国」を「偽満」と称しています。
2、 中国大陸では、2200年前の秦の始皇帝による国家統一以前は、国境の概念はなかった様(天下との概念)で国境線は引かれていません。秦国の東端は北朝鮮の平壤西北郊外から中国瀋陽の東北郊外に延びる長城(春秋時代の地図にはなく、戦国時代には記載されているので紀元前3-4世紀に築造されたものと思われる)以西となっており、初めてその東側に高句麗との記載があるが、高句麗の北部の国境線はなく未確定としている。韓国人は自国の歴史を5,000年の歴史と言うが、その大部分は神話伝説時代である。
3、 前漢時代になると高句麗の南側現在のソウル付近まで楽浪郡となっており、漢王朝に支配されていたとしている。半島の南側は西より馬韓、弁韓、辰韓の三韓に分かれている。北方には高句麗の支配地があったことを示している。尚この時代には日本の九州を倭国として記載している。前回記した如くAD3-4世紀になると高句麗の支配地が北方の現在の中国吉林省に迄拡大したことを示しているが、楽浪郡の他に帯方郡が現在の平譲とソウルの中間に設立されたともなっている。半島南半分は変わらず。5世紀初頭には半島の南側の三韓は百済、任那(加羅とも併記)、新羅となっている。4世紀末には現在の吉林省西南部の集安市郊外にある好太王碑に記載ある如く、当時の倭国の軍隊が高句麗の中心地であるこの地まで進軍したことを示している。
4、 高句麗は新羅と唐の連合軍によりAD668には滅亡したが、全盛期の5-7世紀には最大版図を保ち、現在の吉林省18万㎢の半分、遼寧省15万㎢の六割は高句麗に属していた。実に北朝鮮の領土の12万㎢以上で、朝鮮半島全体の3/4の土地が朝鮮族により支配されていたことになる。従い現在でも朝鮮族は登録されている人口だけでも吉林省に120万人、遼寧省や黒竜江省には70万人、計190万人が東北三省に居住している。北朝鮮との国境の大部分は吉林省と接しており、その国境線の大部分は、東が豆満江(中国名は図們江)及び西が鴨緑江であり、越境するには好都合な地理的条件となっている。

中国歴代王朝の冊封(さくほう)体制(徳川幕府と日本各地の藩との関係の如し)に、殆どの半島の王朝が組み込まれていたこと及び上述の如く入り組んだ地理的環境の中で歴史的時間を経過してきたことは、日本にはなく、中朝の関係は多くの日本人にとっては分かり難くなっていると言えよう。次回更に補足しましょう。


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