上海は進出工場の立ち上げ協力であったので、2005年前半の半年のみの滞在であった。当然帰国する積りでいたが、一年前まで勤務した寧夏の工場で管理担当の日本人が予定より早く帰国してしまったので、次期派遣者との引継ぎもなく困っているので、現地での仕事要領について伝授して欲しいとの要請を受け一か月余のみだったが、寧夏回族自治区の最北端の石嘴山市に足を延ばした。特段目新しいことはなかったが、上海勤務直後であったので、此処が同じ中国かとの印象を改めて強く感じた。風俗習慣も異なり大変貧しい地域と改めて実感した次第である。
1. 夏の終わり前に帰国したが、翌2006年8月には日本の居住地である埼玉県の企業の進出先である大連開発区の工場で管理面の仕事に従事することになった。一年契約であったが結局三年勤務し、これが私の中国での最後の仕事となった。2009年8月の71歳の誕生日を大連で迎え、直後に帰国した。最後の勤務と腹をくくり現地で購入した生活物資などは、ほとんど 帰国前に現地社員に分配しさっぱりした。
2.大連は中国東北地方(戦前満州国もあった地区)の玄関口とも言えるところだが、千葉県の房総半島を大きくした様な地勢であり、三方が海に囲まれ冬でも気候温暖で、商社員として北京駐在時代に何度も出張した瀋陽やハルピンとはまるで異なっていた。大連は商社時代には殆ど縁がなく、1992年9月日本の商工界の瀋陽及び大連の開発区視察団に参加してざっと見ただけであった。瀋陽の鉄西地区などはかなり整備され進出企業も多かったが、大連の開発区は区割りは終わっていたが、道路も舗装されておらず、当時進出企業はTDK,マブチモーター、東芝等数社のみだったが、14年後の開発区は別天地の如きだった。インフラ整備が進み荒地は見当たらず、開発区居住外国人の数でも日本人と韓国人が1-2を争っていると言われていた。
3.大連の概況についてはネット検索すれば相当詳しく理解できるが、私自身の現地での見聞及び体験に関連する状況を中心に報告したい。勤務地は開発区の東端の金石灘(きんせきたん)にあった。此処は海岸が明媚であり国家観光特別地区に指定されているだけあって、ハワイのワイキキにも劣らぬ美しい地域で、発見王国と言う大型遊園地やモデル学校、乗馬場などもあり空気も清浄であった。一年余後に少し西側に寄った董家溝と言う大連の民間の開発業者造成の企業誘致地区(それでも開発区の中心地区より10km程度東側)に新工場を建設移転した。生活の場は3年間蓓佛莉荘園(ビバリーヒル)と言う外国人用高級住宅地(殆ど日本人だが)の近くにあった一般のアパートに住んだ。此処は元は中国の東北電力幹部用アパートで、住民の大部分は中国人であったが、3DKで各部屋は広々としていて、大連では中の上クラスと思われた。南方1km先は海で、その手前に海浜公園と言う通路がアンツーカーとなっているスポーツ公園があり、通路一周は1kmでアパートから走り出し、公園内一周して戻ると、ほぼ3kmで恰好のジョギングコースで3年間利用させてもらった。この公園の西側には日本の業者の調査と鑿井による温泉があり、経営は中国人だが完全な日本の都市型温泉浴場となっていた。

  大連在住の皆さんにも参考になることを含め、次回もう少し具体的に紹介致しましょう。

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