多くのアジア諸国や太平洋諸国が親日的であるのに反し、中国と韓国のみが反日的傾向が強いのは、何故でしょうか?今までも何度もその原因を紹介してきましたが、ここで再度総括的に紹介し、次回対応策について述べてみたいと思います。
1、 前回事大主義について記したが、自国の力が相手より強いか文化的に進んでいると思いこむとそれが中華思想となり、少なくとも200年前まではそうだった。両国とも政府関係では今でもそうである。日本の本質は野蛮で武力主義であると思い込み、自己正当化して精神的に自己満足したいだけでなく対日警戒心を持ち続けたい。中国より韓国の方がより強く執拗になるのには、それなりに原因がある。
2、中国では日清戦争敗北後、特に終戦までの十余年は日本軍は残虐の限りを尽くしたとして、今なお抗日戦争記念館を増強しているが、普通の日本人には理解しがたい状況である。南京30万人虐殺説を叫び続けているが、既に証明済の虚偽であることが国際的に広く認知されてしまうと、別なテーマを提起しそうである。然し戦後70年3世代近く時間が経過しており、日本の実態が歴史を教訓として稀に見る平和国家に生まれ変わったことは、世界的に認められているが中国でも民間では徐々に浸透しつつあるのも事実。
 1965-7年ごろ北京駐在時代しきりに戦争映画を見せられたが、当時は実際の体験者も沢山存命であったので、荒唐無稽な作り話は少なかった。国民党軍との戦いの状況も挿入されていた。多くの観客が日本軍と戦う場面では、叫んだり拍手をしたが、招待された我々日本人は、解放軍が国民党軍と戦う場面になった場合拍手したりして無言の抵抗をしたものである。
3、朝鮮半島では、有史以来小さい半島の中で分裂や統一を繰り返し、中国との抗争も度々で、高句麗時代には部分的に楽浪郡や帯方郡になったり、長春北方まで勢力を伸ばし、領土を拡張したが、4世紀末には倭軍(日本軍)に侵攻され新羅、百済が占拠され平壤まで侵攻された。(注:歴史年表の応神-仁徳朝時代ではなく、雄略朝時代と思われる)7世紀には百済を助けるとして白村江に倭の大軍が襲来した(663年倭は唐軍に惨敗)が、高句麗残党と靺鞨が渤海国を建国し、南下して平壤近くまで領土とされてしまい、14世紀には倭寇が暴れ回り、16世紀末には豊臣秀吉が朝鮮半島に侵攻(文禄慶長の役)、日清戦争(1895年)以来各種抑圧を受け遂に1910年には日本に併合された。斯様な歴史が対日怨念となり、朴槿恵大統領の“千年の恨み”と言う言葉に至ったが、新中国成立直後100万の大軍を送り、韓国を蹂躙した中国には怨念を抱かず、日本人にはピンと来ない。やはり前提として、彼らには野蛮な倭人に我々が文明を与え、教化し恩恵を与えたとの、潜在意識を有しているからだと認識すべきでしょう。
4、以上要約的に述べたが、中華民族(漢民族を中心に各種民族の集合体)にとっては、朝鮮族(韓国人を含め)、モンゴル族、満州族、回族、ウイグル族、チベット族等は有史以来、統治・分裂の対象であり、大きな意味では身内、親族との認識が強い。然し日本人はあくまで化外の民であったと認識し(実際は渡来して帰化した朝鮮人や中国人が在来の縄文人と混血し、弥生文化を生み出し大和民族になったのだが)、区別している。以上の状況は、政権が替わり、時間が経過しても変わらないと認識すべきでしょう。

 (2016-1-29記)

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