中国がまだ改革開放政策を本格化するまで、即ち1970年代末までは中国の商取引相手は国営企業である対外貿易公司、それも北京の総公司(本社)のみだった。又取引する日本側窓口会社は友好商社と言われ、台湾を国家とは認めない等宣言した商社だった。社会主義国との取引でもあり、社内の担当者、担当部署の大部分は左翼的な人達が占めるようになり、私の如く自由民主主義者は業界では右翼と呼ばれたが、仕事上特に不便はなかった。
 文革の一時期を除き多くの日本のマスコミは、中国等社会主義国の良い面を誇大に、やや宣伝的に報道していたが、中国国内旅行には旅行証が必要であり、中国社会の否定的側面を自由に見聞する機会もなく、中国側が組織的、計画的に手配する「参観」や「旅行」での見聞が、どうしても全体的印象になってしまった。然し、後日の検証も含めて判断すると、1970年代までは総体的に中国のモラルが高かったのは事実で、下剋上の時代でもあった文革時代(1967-76)の10年間、汚職も殆どなかったと言うのも事実と思った。北京の首都鋼鉄廠の排水処理池には鯉や金魚が多数泳いでいたのも見たが、理論的な理想社会と信じていたかなり多くの日本人はこれこそ社会主義であり、日本は搾取される資本主義社会と単純に区分けして信じられ、多くの労働争議や学生運動が誘発された。
 従い中国の経済発展に反比例してモラルが低下し、格差が拡大し環境汚染や汚職もひどくなった状況を見て、今では日本こそ社会主義国であり中国は原始資本主義国になったと本気で言い出す者までいる始末です。中国の憲法前文では共産党が社会活動全般を指導すると規定して、共産党の統治が法律の上に存在する実態に何等変更のないことは考慮外のようです。
  1960年代と1980年代初期、私は仕事の関係上ロシア(当時ソ連)や東欧諸国とも付き合ったが、日本に駐在していたこれ等の国々の代表達は日本語も堪能で、彼等の国々を統治していた政党や上層幹部を公然と「支配階級」と呼んでいた。彼等は西欧人特有の率直さもあって、経済やモラル面では西側諸国には及ばないことを吐露することもあった。更に体制疲労が相当進んでいるとも感じた次第です。ひるがえって中国人からはこの様な言辞を聞くことはなかったが、1980年代までは建国以来、三反五反運動、大躍進運動、調整政策、文革と息つく間もなく大衆動員運動が続く社会だったことも影響していると思わされた。然し、文革時代後期には従来の行政組織に替って、革命委員会と言うのが設立されたが、出身がどうであれ一旦権力の座に着くと「権力者」であり、ソ連東欧の連中が「支配階級」と呼んでいたことが、中国でも同様だなと思わされた。圧倒的多数の人達の意思、即ち民意による選別を経ずに固定した体制が長く続き、「権力は腐敗し易く、絶対的権力は絶対に腐敗する」と言う歴史的に証明された法則には逆らえないと痛感させられた。これはなにも国家体制のみならず、日本でも会社、団体、政党等あらゆる組織に言い得るのではなかろうか。
 来日中国人観光客が「爆買」しているが、これ等富裕層や中産階級と圧倒的多数の農民や貧困階層の二極化が食い止められないと、大きな社会的動乱に発展しかねないと心配である。
 

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