この様に言うと、今では中国人もほとんど信じてくれない。1966年末から始まった  文革前の一年間、私は北京に初駐在したが、上海、広州、天津、武漢などへの出張で見聞したことも含めて、「中国は貧しいが、さすが孔子、孟子の国、道徳大国だな」と感心することが多々あった。当時日本の新聞でも「中国には泥棒とハエはいない」と報道されたほどで、ゼロではないがほとんどいなかった。
年配者に当時の状況の真偽を尋ねると、「その通りだった」と肯定する人もいるが、更に「当時はみんな貧しく、盗むものもなかったよ!」と言葉を続ける者もいる。街は何処に行っても(人民公社や工場等も)、清潔であった。更に人々の衣服も質素だが清潔だった。又、解放軍の若い兵士が老人や妊婦を助けている姿をよく見かけた。駅やバスターミナルで多かったが、街中でも見かけた。多くの人々は買い物用のナイロン糸の編袋を常時携帯していて、何か“放出”が有りそうと見ると、行列を作っていたが、列を乱す者は見かけなかった。
 一方、私は若い商社マンとして駐在していて、輸出した設備の納入技術者が帰国前にお世話になったとしてお礼の宴会を開くのを手伝ったが、年配の中国人からマナーについて教えられることも多かった。例えば、宴会主催者は早目に出向き、準備状況を確認した上で、宴会場のレストランの外で、客を待ち、終了後も、建屋の外まで見送りに出て、客の車が見えなくなるまで見送ること、酒を口にするには、必ず「xxxの為に」と言い、無言で呑んではいけないとか、料理は主人側が客側に取ってあげること等々。
 当時の日本は、高度成長時代で至るところが建設現場で、ホコリやゴミだらけ、更に日本人は“エコノミックアニマル”と言われた位、拝金主義が横行し、池田首相がフランスを訪問した時には、ドゴールより「閣下はトランジスターのセールスマンかね!?」とジョークを言われた程である。当時、電子機器の小型化に貢献したトランジスターの実用化で、日本は世界の最先端を行っていると言われた時代であった。池田首相の輸出振興等で「5年で所得を倍増する」との公約は繰り上げ達成し、更に数年後には日本の農家の方々が大挙して海外旅行に出かけ、欧米人を驚かせた時代でもあった。
 経済発展に反比例するかの如くモラルレベルが下降してしまった最近の中国ではあるが、以上の如き時代があったことを強調して、日系企業では自社工場内だけでもモラ回復に努めたいものである。尚、当時の中国は大躍進政策が失敗し(連続して発生した大規模自然災害と相俟って)、人々は塗炭の苦しみの中にあったのを教訓として、自留地(農民が自由に耕作できる農地)を認めるなど、調整策を実施した時代で、人々も将来に対して夢を持っていた時代であった。文革が始まってもモラルレベルはあまり低下しなかったが、その状況は次回に紹介しよう。

柳沢経歴 http://www.nakatsu-bc.co.jp/komon/komon-2.html
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