中国地図を見ればすぐ分かるが、寧夏回族自治区の主要部、北側1/3は内蒙古の西南部に食い込んでいる。10-12世紀に西夏王国の都として栄えた現在の銀川もその中にある。この辺では黄河が西南部(甘粛省、海抜1,200m程度)から東北方向(内蒙古の烏海市方向で海抜1,000m程度)にゆったりと流れている。300㎞も下ると包頭市郊外だが、更に200㎞余り東進し、陝西省と山西省の省境を南下し始め、河幅も狭くなり流れも速くなる。旧五十元札の図案にもなった壺口の滝(吉県西部)もその南方にある。
1. 寧夏回族自治区の版図内でも、銀川以北は回族的風俗習慣と言うよりはモンゴル(蒙古)風の色彩が強い。河原や砂漠の一角にあるモンゴル風レストランで、接待を受けアルコール度数の強い酒を強要されたことは何度もあり閉口したものだった。風俗習慣も周囲に影響を受けることを示していると言えよう。イスラム教徒だと名乗っていた会社の品管課長は優秀な女性幹部だったが、髪の毛を隠さず酒を飲む愛煙家でもあった。
2. 一方、自治区南方の固原市は黄土高原地帯に属するが、風俗習慣的に中国南部のシーサンパンナ(西双版納)と同じことを、よく利用したタクシーの女性運転手から聞かされた。それはどちらも女性は大変働き者だが、男性は怠け者で酒飲みが多く、賭博と女を抱くことしか興味がないと言う。雇用促進のため政府(地方自治体)が金銭的に援助しても、賭け事に使ってしまい無駄だったとのこと。北寧夏でも毎朝の通勤時に街角で大勢の若者達を見かけたが、日雇いの仕事を探しており、継続勤務は希望せず多少の小銭を手にすれば、飲むか上記の如き方法で使ってしまう連中だった。…失業者が多いにも拘わらず、人探しは容易ではなかった。
3. 私の職場があり生活した石嘴山区は内蒙(モンゴル)に食い込んでいる北端である為、モンゴル風が強く、「漢餐」との看板を掲げ中華料理だよと強調したレストランも沢山あったが、似て非なるものだった(尚別途訪問した内蒙包頭市には正真正銘の中華料理店はあった)。只外食は大変安かったので、朝食以外殆ど外食だったが、時々日本から出張してくる技術者に料理の得意な者が居て、親しくしていたレストランが調理用具とガスコンロをタダ同然で使わせてくれたので、その出張者の来訪はありがたかった。瀋陽から進出のレストランが半年足らずで撤退してしまったことは以前紹介したが、ケーキも製造販売するパン屋さんの進出は現地でも歓迎され定着した。毎月その月に誕生日のある従業員を祝うため、デコレーションケーキを会社としてプレゼントしたが、大人気だった。スーパーも進出し一号店となったが、日本食や日本の調味料は置いてなかった(出張者が日本より持参した)。
4. この石嘴山区は低所得な地域だったが、物価は安く夕食は酒代含め一人10元未満だった。4-50km離れたところをタクシーで往復しても5-60元、マッサージは10元、理髪も3元で毛髪を染めても10元だった。5元で買ったスカーフは今なお愛用している。よく行ったカラオケ店は個室よりホール式の方が面白く、見知らぬ中国の青年たちと歌う曲をリクエストする等、交流の場にもなった。時にはアツアツのカップルの女性客とダンスをしたこともあった。
2004年夏には、2年間の契約を延長せず石嘴山区から帰国、翌年1月からは上海進出の自動車関連企業の初期手続きや諸手配に従事、次回その半年間を若干紹介致します。

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