1999-2000年の一年余、毎月北京から山西省吉県の職場まで出張したが、約千キロの道のりを殆どは四輪駆動車で北京を早朝出発し、夕方到着した。石家庄までは立派な高速道路だったが、そこから右折し太原方向に向かうと、片側二車線ある有料道路だがしばしば石炭輸送トラックが二台並行して徐行するので、追い越しに苦労した。私から頼んで何回かは夜行列車で山西省の臨汾まで行き、手配済みの迎えの車に乗り換え、吉県までの100余キロを走ったが、途中の山越えが大変危険なものだった。10余キロの山すそは半トンネル状態の道路だったが、コンクリート等での補強工事がされなく、ところどころ落石が見られ、万一直撃されたら命の危険さえあった。中国在住の皆さんは、未知の道路を走る時はくれぐれも事前調査をして下さい。
尚、北京での勤務は北京林業大学がタクシー代を負担すると言うので、毎日宿舎である中関村の燕山大酒店から大学までタクシーで通勤した。渋滞を避けて脇道を走ったが、舗装してそれ程経っていない道路だが損傷がひどく、乗る度に運転手に聞くと「工事業者が悪いのではない。ピンハネを二重三重にされるので、偸工減料(手抜き工事)にならざるを得ない」と異口同音に言う。そこで、何処の国でも世間通であるタクシードライバーに、官僚の収賄問題について質問し、一種の世論調査を約一年間実施した。7-8割はとか、全てがとか回答するのが殆どであったが、感情的思い込みもあるだろうと割り引いても、半数以上の官僚は収賄とか公金の流用に手を染めていたと言えよう。中国貿易が活発化する前の7-8年間、同時並行的に仕事で付き合った旧ソ連や東欧諸国も同様で、独裁体制(民主集中制と言う)は腐敗し易く、絶対的体制は絶対に腐敗すると言う、既に歴史的に証明されたことが中国に対しても言えることを確認した次第である・
私が初めて訪中し駐在した1965年頃は、大躍進政策の失敗の修正が成果を出し始め将来に夢が描けたことと、みんな貧しく助け合う他生きようがない時代で腐敗現象は殆どなかった。更に父母に対しても公開で批判するという文革時代も例外的に、ほとんど腐敗現象はなかったと言える。

人間は性悪説で言うほど悪くはないが、性善説で言うほど善人の集まりでもないことは、既に 古今東西の歴史が証明しているとも言える。

 2002-2004年の2年間、北京より千キロ余西方の沙漠の街、石炭の街である寧夏回族自治区の石嘴山市にあったトヨタ系の活性炭工場に勤務した時代の現地情況に就いて紹介しましょう。当時この市には外国人常駐者は、カナダから来ていた英語の教師以外は我々三人以外は居らず、中国でもあまり知られていない地域であった。沙漠の状況は、平山郁夫画伯の描いたようなものではなく、喜多郎が作曲し奏でるようなものでもなく、童謡の月の砂漠のようなものでもなかった。
頻発する短時間の黄砂、街路樹が東向きに傾斜している程の強い西風、公道に面した豪華な刑務所事務所の看板、河川の殆どは水無川、塩ふく畑、滅多にない中華料理店等々具体的には次回から紹介しましょう。

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