2012年 2月の記事一覧

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12年02月25日 17時48分24秒
Posted by: yanagizawa
 中国は貧富の格差が激しく、一人当たり平均GDPは、最貧の貴州省では上海の1/10とか1/13のレベルだと報道されたり、解説されたりする。然しこれは一側面を示しているだけで、経済レベル全体の実情を示しているとは言えないと思う。貴州省では生活したことはないが、統計上では上海の1/6程度の平均GDPである、寧夏回族自治区の北端の田舎町には、仕事の関係で2002-4年の丸2年間住んだことがある。自治区の中心都市である銀川は美しく豊かであるが、120km北方のこの辺境の街は優良な石炭を産出する為発展した街である。内モンゴルに食い込むような地勢で、境界にもなっている黄河に架かる大橋は生活したアパートの2階からもよく見えた。
 石嘴山市と言い一応市であるが、総面積が4,700平方kmもあり千葉県に近い面積で人口は当時60万人と言われた。南方を除く三方が砂漠で囲まれ、頻繁に黄沙が発生する地域であった。それでも未開拓地区も多く黄土高原等から移民が続いていて、最近の人口は80万近くまで増加した模様である。市街地は六ヶ所に分散しており、夫々の市街地は3-40km離れており、私の職場や住居のあった石嘴山区の市街地人口は7-8万人で、日本的感覚ではゴミの町と言える。当時外国人は数人しか住んでおらず、日本人は総経理とその夫人を含めて3人、その他時々日本から技術者が出張して来るだけであった。給与等への国や自治区の指導、統制は必ずしも徹底しておらず、レストランや商店の従業員の月給は400元からであった。タクシーは軽自動車で、料金は4kmまで3元であった(北京、上海の1/3以下)。時々食べた麺類の担々麺(タンタン麺)や刀削麺(タオシャオ麺)は1元80銭だったが、私の滞在中に市の物価局の指導で2元に改定された。   理髪店は理髪のみなら3元、毛染めを頼んでも計10元であった。大連や上海の1/10であった。総じて「食」関連価格とサービス料金が安く、工場での大量生産品は大都会とほぼ同等だった。ガイジン用アパートはなく、私が単身生活したアパートは55㎡(2DK)で風呂は電熱湯沸しに依るシャワーのみだが、窓は全て二重になっており、ベランダも金魚箱の如く黄沙の侵入防止となっていたが、家賃は当初270元、途中から300元と格安だった(上海なら1500元以上と思われた)。
 従って、実際の生活レベルは統計的GDPの差ほどは大きくないと言えます。
一方時間経過的に中国の物価を考察すると、3-40年前(北京の王府井でも麺類は20銭程度、ギョーザを食べ白酒を飲んでも一人当たり1元以下だった)とは比較にならない程、インフレは進行してきた。この辺境の街、石嘴山市でも労働者の給与等の上昇同様「食」やサービス料金の高騰は、避けられないでしょう。
中国では、農民の平均的耕作地が日本より狭いことや生産性向上が難しいサービス業の性質を考慮すると、大都市でも更なるインフレは止め様がないのではなかろうか。
 大連の開発区に3年間生活し、旧市内に行くのに軽軌電車をよく利用したが、30km
以上の距離にも拘らず4元(約50円)、タクシーでも70元(900円弱)と日本と較べるとまだまだ安かったが、今後は高騰しそうな予感がします。行政的制御には限度があるでしょう。大連や上海の中流以上のホテル代やレストラン料金は、既に日本と同じ レベルになっており、中国は益々多重・多層経済レベルの国家になりそうである。
柳沢経歴 http://www.nakatsu-bc.co.jp/komon/komon-2.html
  Mail add. Knhr-yana-@jcom.home.ne.jp


12年02月18日 14時02分17秒
Posted by: yanagizawa
 日本でもそうだが、中国でも一般にアジア・アフリカ人より欧米人が好きである。 この500年来近代文明が欧米でより早く発展し、見かけ上も背が高く青い目をしており、皮膚が白いのが格好良く見えるのかも知れない。
 私の友人の説に依ると、特に好きなのはアメリカで、抗日戦争では皇軍を打ち負かせた唯一の国であり、国民党支援を通じて、中国への支援を続けてくれた。又、戦後軍事経済共に世界No.1である。次に好きなのはカナダやオーストラリアであるとのこと。
最も嫌いな国は、以前は北朝鮮と言うのが通り相場であったが、最近では韓国とのことである。主な理由は在中韓国人の態度が横柄なのが多く、又古代文明等では中国人の祖先が発明したものを韓国人の祖先が発明したと言う。漢字まで韓国人の祖先が発明したと言い、我慢がならない。どちらにしても次に嫌いなのが日本であると言う。
 然し、対日感情は複雑で、最新の聴取情報では「日本の男性は一般に凶暴で嫌いだが、日本女性は貞淑で大好きだ」と言う。映画やテレビの歴史ドラマの影響が大きく、 
家庭内では女性上位の現況を説明しても、日本に長く住んだことのある人以外信じてくれない。この5-60年間を概観すると、1972年9月に国交回復するまでは、国交回復を求める日本人は良い人達で、その反対の人達は悪い人達と単純に区別していた。日本に関する情報も殆ど一般の中国人には伝わらなかった次第であった。国交回復するとご祝儀ムードが一時流れ、靖国神社参拝問題が出てくると冷え込むと言う情況が繰返された。その様な中で、1989年の天安門事件の後、欧米諸国が足並みを揃えて対中制裁をしたが、日本が真っ先に制裁解除に動き出すと、突然一番好きな国は日本で、日本人は素晴らしいと言うことになった。当時日本はバブル経済の最好調の時期で、多くの日本企業がアメリカの会社、ビル、土地を買い漁っており、日本の国土は狭いながらアメリカ全土より評価価格が高いととまで言われた時期であった。世界最強者に憧れる中国人の特性をも示している。
 面白いのは、対日感情は地域差が非常に大きい点である。私の仕事を通じて滞在した 地域の中では、戦前良し悪しに関係なく日本(人)との接触が殆どなかった、寧夏回族
自治区の片田舎や山西省の辺地の黄土高原では、あまり対日感情は良くなかった。   大連、上海、武漢では、一般のレストラン、商店、街での不特定多数の人達との接触を通じて、親日的な人達が大変多かった。大体我々日本人を見る目が違った。親戚か同郷人を見るような目で見てくれる。仕事で10回以上訪問した広東では中立的な印象、北京は政治的都市としてその時々の日中関係が敏感に反映する地域との印象が強い。
 私の武漢の友人の言葉、「歴史的原因で、中国人全般としては日本(人)を好きになるのは、難しいが、心中最も尊敬しているのは日本人である。殆ど地下資源もないのに、
戦後廃墟の中から立ち上がり、世界第二の経済大国にまでなった。特に文化、モラル面でレベルが高いからである。」が印象深い。
柳沢経歴 http://www.nakatsu-bc.co.jp/komon/komon-2.html
  Mail add. Knhr-yana-@jcom.home.ne.jp



12年02月14日 20時34分33秒
Posted by: yanagizawa
日中共に多くの人々は、どうも基礎的な事情を理解していない様に思われる。
1)先ず日中双方の憲法前文を一読すれば、比較不能な程大差があることに、中国人も  日本人も驚くであろう。双方共に世界的に見て、稀有な憲法を有している。中国では中国共産党が、議会、政府、司法、軍隊から宗教、文化活動、マスコミ迄全ての社会活動を 指導すると規定し、その由来や正しさを強調している。従い憲法の保障する自由や民主 主義の概念も、日本や欧米諸国とは異なり、共産党専制と言う枠組みに反する民主主義や自由を主張すれば、国の根幹を揺るがす大罪となることも容易に理解出来よう。
一方日本の憲法前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我等の安全と生存を保持しようと決意した」とあるが、当内容が実際の世界情勢からあまりにもかけ 離れていることは、誰の目にも明らかであろう。世界的に見て中国以上に稀有な憲法を  保持しているのが日本である。日本の憲法前文は人類が追求すべき理想としては肯定できようが、現実問題に対処する諸法令の基礎としては明らかに非現実的なものと認識すべきであろう。以上は好き嫌いに関係なく、日中共に基礎的事実なのである。
2) 中国では当り前すぎてニュースにならないが、中国首脳の最大の関心事項は、日本の政治家では思いもよらないことである。即ち餓死者を出さない事と国家統一の維持との事である。13年前JICAの援助プロジェクトの管理の為、黄土高原の一角、山西省吉県に一年余の間、毎月の如く北京より出張したが、「10年前からJICAの1,200Haの植樹 援助実施の際、経済林として各種果実樹も植林しました。今では果実が広く売れるようになり、お陰様で一人当たり平均年収(月収ではない)が400元(5000円程)から、900元と2倍余に増加し、心から感謝している」と当時現地で聞かされた。現在更に2倍のレベルに達したとしても、一人一日平均一ドルにも達しない。尚当時援助プロジェクトの存在を広報する為、道路沿いに看板を建設する了承を得る折衝に、半年も要する程難渋した。感謝はするが日本から援助を受けていることは、知られたくないとの複雑な現地状況だった。従来看板は道路から8km以上も山道を入った現場にしかなく広報の意味がなく、 国道沿いに建てたものである。
尚、戦前この地域は日本(軍)とはほとんど接触もなく、悪行もしていない。この吉県 程度の貧困地帯は全国各地にあり、中国政府の言う貧困家庭が大幅に減少し3,000万以下になったというのは、もっともっと貧しい人達を指している。というのは、芋類、粟( アワ)、蕎麦を含めて吉県では、一日三食の食事が可能だからである(我々に時には米飯も出たが、外地からの特別調達だった由。北京や上海の中国人にも理解されない状況だった。50余年前大躍進政策の失敗と自然大災害が重なり、何千万と言う人々が餓死したことが、政府首脳のトラウマとなっているのは間違いない。従って全国各地には巨大な糧食貯蔵倉庫を建設し、非常時に備えている。大連の道路沿いの倉庫軍も7号門まであり、推定計算では100万トン級の貯蔵庫群である。
日中問題は皮相的な現象面のみを観察したのでは、彼我共に理解不全となろう
柳沢経歴 http://www.nakatsu-bc.co.jp/komon/komon-2.html
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