1989-91私は商社の北京事務所所長をしていました。上海にも事務所があり、打合せの為毎月の如く上海に出張しました。我々常駐代表は全て居留証を保持していましたが、当時上海にはホテルが少なく、錦江飯店や静安寺近くの安宿である静安賓館や上海賓館も利用していました。その近くにアメリカのヒルトンホテルがオープンしたと知りましたが五つ星クラスで、部屋代も高く利用するのは無理と思っていました。すると上海事務所のスタッフが調査し、緑色カード(居留証のこと)保持者は1/3の料金で泊まれる特別
優遇が受けられると教えてくれ、其の後常宿にした次第です。
 この現地名、静安希尓頓酒店を利用する様になって、サービスが行き届いていることに感心しました。白髪の大柄のアメリカ人と思われる年配の男性が、ホテル内を巡回し、
末端の従業員である服務員にニコニコ顔で声をかけているのも、よく見かける様になりました。この話を上海事務所スタッフにしたところ、このホテルの下級管理者である、大卒の若い女性から次の如き情報を入手しました。
 このホテルのトップマネージメントはアメリカ人であるが、上級管理者は香港から派遣されている経験豊かな男性スタッフで、服務員に直接指示指導する下級管理者は大卒の
現地スタッフ(大部分は女性)とのことであった。ホテル内を巡回しているのはアメリカ人総経理で、何か問題を発見してもその場では良い点のみを指摘したり、冗談を言ったりし、下級管理者や服務員達を笑わせることが多いとの事であった。
 ところがこの総経理は、香港から派遣されている上級管理者との会議では、現場で
目撃した問題点を指摘し、関係する幹部を容赦なく批判、叱責するのを常としていたとのことです。其の後注意して見ていると、香港からの上級管理者と思われる男性職員が、
若いインテリ風の女性(下級管理者)を現場で厳しく指導している光景も見かける様に
なりました。
 話は変わりますが、私が30年以上も奉職した商社の社長は少々変わっていました。  会議が長引き食事時間に食い込むと、幹部との会議では軽食のサンドイッチかカレー
が出されましたが、若い連中との会議ではステーキ等本格的な食事が出されるのが
慣例になっていました。又勤続10年の社員は表彰を受け慰労され、記念品も授与され
ましたが、勤続20年者への慰労や表彰はありませんでした。20年も勤務すれば表彰
慰労されるのではなく、逆に表彰慰労する側に回るべしとの意向でありました。
 以上アメリカ人と日本人経営者の一つのスタイルでありますが、何か共通するものが
あり、時々思い出しては一人苦笑している次第です。皆さんからも何か面白いエピソードが寄せられれば幸いです。
柳沢経歴 http://www.nakatsu-bc.co.jp/komon/komon-2.html
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