2011年 12月の記事一覧

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11年12月27日 14時26分49秒
Posted by: yanagizawa
 当ブログの最初に記した「幹部教育の要諦」第2項では、<仕事効率(生産性)
 の倍増を目指し、給与や待遇を同業者の2-3割アップを目指す。節約や
「もったいない」精神は、元々中国が本場だった。>と記していますが: 
 1.職場会議等で中国人作業員に生産性を2倍にしたいと言うと、先ず間違いなく
「無理です。今でも精一杯やっている」と言う。日本での事例を紹介して、やる気を  起させようとすると「日本人の給与は我々の5倍以上ではないか?我々は日本人ほど  ではないが、生産性が5分の1以下と言うことはない」と反論して来ることもある。
  これは、彼等がまだまだ生産性を向上させ得る余地があることを認めている証拠で
あり、前途有望と受け止めた。中国人社員教育には、左程特殊でない中国での事例を  紹介、利用するのが効果的だが、この場合にはそうはいかない。そこで私自身の経験を 紹介した。即ち、「1961年大学を卒業して入社した貿易商社の初任給は15,500円  (理工系の)と文科系より500円高かったが、アメリカの初任給の10分の1以下だった。当時東京で居候させて頂いたアメリカ人高級技師の月給は50万円余でマンションの   家賃や専用の乗用車(運転手付き)の費用は、彼を招聘した日本の会社が負担していたが、私は不満に思ったことはない。ほとんどの日本人はこの様にアメリカ人との経済  格差は大きいことを知っていたが、生まれ育った国情の相違に由来するのであり、刻苦 奮闘、継続していけば必ず追いつけると信じて努力してきた。又現在の日本の物価は  自動車の如く中国と大差ないのもあるが、食品等多くの日常生活に不可欠な物資の価格は中国の5倍から10倍であり、一面的な比較は正しくない」と説得に努めてきた。大体は 不承不承ながら彼等は納得した。
 2.具体的な「効率2倍増計画」には、原材料から最終製品になるまでに保管、流通 を含めると10段階(工程)以上になるので、単位工程で5%乃至10%のロスを防ぎ、  又はスピードアップすれば必ず倍増すると指導した。期末の棚卸等では10%程度の誤差 には無頓着なこともあり、製造の各工程での無駄も沢山ある実情は以前より改善された とは言え、相変わらずではなかろうか?作業方法も日本人の目から見れば、休み休みの 仕事に見えることも多く、むしろ仕事は集中継続してやった方が疲れないことも「趣味 への集中時」の事例等で教育した。無駄の排除では3-40年前の貧しい時代では、あらゆる物資が欠如していて、販売促進の為開催された中国での展覧会出品に際しては、ネジ  くぎ・テープに至るまで何でも持参したが、残余品を大切に扱う中国人スタッフの行動に感銘を受けたこともあり、当時の「もったいない」精神の実情は、是非とも祖父母等  高齢者が健在な内に聴取して置けとも指導した。
今日は此処まで! 皆さんが良い新年を迎えられますようお祈り致します。

柳沢経歴 http://www.nakatsu-bc.co.jp/komon/komon-2.html
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11年12月22日 01時04分54秒
Posted by: yanagizawa

 中国工場進出支援の為の「中国を知るシリーズ」は一旦小休止として、中国人「幹部教育の要諦」十か条について、順次説明致します。
 

 第一項では、「学歴、出身、民族の違いによる差別は一切せず、末端の 作業員まで、一人ひとりの人格(自尊心)を如何なる時も十分に尊重すること。末端の意見聴取では、トヨタに見習え。」と記しています。多くの日本人は、当たり前と思うかも知れません。然し、誰も言わずマスコミ 報道にも出て来ないが、中国では30数年前までは、身分格差を「工農兵学商」と言われており、文革中は親の身分まで溯って問題にされていた。 日本でも江戸時代は「士農工商」と言われていたが、明治維新後既に140年以上も経過しているので、誰も身分格差等潜在意識にも存在しなくなった。中国は言わば、明治 35-6年時代類似の身分格差や階級意識を潜在的に持っていると見て間違いない。観察 眼が表面的な経済発展の状況に偏らず、多角的な理解に努め、意識的に社員の努力や成果の程度を重視し、平等に社員を扱うのが最重要です。食後農民や食事を供してくれる人に 感謝の 意を表する為に、手を合わせる習慣は、今でも日本人の中に、かなり残っているが、中国にはなく、むしろ農村出身者を一段低く見る人達は多い。又、日本は単一民族に近い国である為、少数民族に対する対応方法を意識する日本人は、多民族国家である 中国で生活していてもあまり居ない。
この点も意識して彼らを尊重する姿勢を保とう。特にイスラム教徒の中には、豚肉を食べないだけでなく、寧夏回族自治区での2年間の勤務中には、総経理がご自宅に優秀社員を招待した折、「豚肉に用いた食器は使わないで下さい」と言う者までいた。

 トヨタ自動車とは、商社時代を含め30年余交流があり、その孫会社とも言うべき現地工場に勤務してみて、感動することが多々あった。トヨタは今後どんなに大きくなっても、アメリカのGMの如き失敗はしないと確信した。此処では格差、差別関連事項のみ 紹介する。トヨタの役員給与等は、他の自動車メーカーと較べ低レベルだと、広く知られているが、海外にあっては現地の風俗習慣を尊重し、現地社会に貢献する努力をすると 共に、班長、組長等大体係長以下の職長2-3人ずつを、毎週の如く退勤後次々と総経理が呼んで、現場での問題点、不満点、提案等聴取し続けるのを、通訳しながら経験した。 ほとんどのトヨタ系会社では類似状況にあるとのことであった。彼等は幹部会メンバーにはなれない職階であり、多くの社員達は「トップが我々末端の意見を重視してくれてありがたい」との受け止め方をしていた。信頼感醸成に役立つと共に、幹部会通じての提起 問題や提案内容と異なることもあり、情勢認識を補完するのにも役立った。更に幹部教育の参考情報を得ることにもつながった。

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11年12月14日 21時47分09秒
Posted by: yanagizawa

  改革開放で中国人のモラルは変わった。
 1976年10月「四人組」逮捕で文革が終了すると、多くの人々は喜びに溢れると共に、一種の虚脱感に襲われた。それまで仕事や社会生活等全てに優先して、学習と「継続 革命」運動に従事させられて来たからです。78年末に改革開放の大号令が下ると、経済 活動の自由化と理解されお役人も企業家も、起業し金儲けしようと動き始めました。法令やインフラ整備が伴わず、いきなり外資導入とはならず、盛んに推奨されたのが「三来 一補」でした。即ち見本、図面、材料を持ち込んでくれれば、お望みのものを生産し提供しようと言うのが「三来」で、輸入決済の一部に物品の提供で補いましょうが「一補」と言う 訳です。特に提供された材料を加工して輸出し、加工賃を稼ぐ「来料加工」が活発になりました。商社の駐在事務所には連日来客が押しかけた程でした。徐々に金銭万能 主義的傾向が帯びてきて、社会生活の基礎である、モラル低下の傾向がひどくなって来ました。

 この様な傾向に危機感を感じた総工会や婦連等全国的な9団体が提唱し、政府がバックアップし、1981年より「五講四美」運動が全国的に展開されました。
数年間は運動も活発でしたが、「金銭至上主義」の大潮流には抗し切れていない様です。ところで、「五講四美」ですが、「講」は「重んずる」とか「大切にする」意味で、 「五つの気配りと四つを美しく!」程度の意味。五講とは文明(文化的、知的)、礼貌(礼儀作法)、衛生、秩序、道徳(モラル)で、四美とは心霊(心持ち)、語言 (言葉)、行為(立居振る舞い)、環境の四つです。日本ではほとんど当り前の事項ですが、これ等のひどさは中国で生活しておられる皆さんは、日頃感じて居られるでしょう。尚、今でも毎年3月は「全民文明礼貌月」とのことですが、その取組み状況は如何でしょうか?最近は孔子学院を海外にまで設立する等、道徳心の向上に取り組んでいる中国ですが、「衣食足りて礼節を知る」に至るには、長い道のりが必要でしょう。そこで、皆さんに提案があります。中国の企業は標榜する社是を入口や門塀等目立つところに掲示する習慣があるので、工場や事務所等営業拠点の入口の上に、「五講四美」推進会社(中国語では推廣単位)とのステッカーを貼り出し、一方朝礼や職場会議の初めに、全員に復唱させ遵守すると言わせては如何でしょうか(1-2分で完了する)。

 モラル問題に重点を置いて始まったこのブログですが、モラル問題は愛(思いやり)と共に、全ての社会生活のスタートであり、且終結点と信ずるからです。
虚偽混じりの報告をする、会議では立派なことを言いながら陰では違反する、部下や地方出身の若い女子社員の人格を尊重しない等、全て「五講四美」に反する行為となります。


 次回より「幹部養成の要諦」の各論に入ります。



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11年12月08日 13時52分32秒
Posted by: yanagizawa
こんなことを言うと、現在の中国人は信じないが、当時日本人“紅衛兵”と言われながら中国で生活し仕事をしていた私の体験や見聞では間違いない。むしろ、最近の中国よりは、モラルは高かったと言えるくらいである。当時、日本や欧米のマスコミは、否定的側面のみを繰り返し報道していた為、国中が動乱中との印象を与えてしまった。今になって自分達は文革の被害者だったようなことを言う年配者は、中国でも多いが、「小生さえ日本の紅衛兵と言われた異常な時代で、中国の若者の99%以上はみんな紅衛兵だった。被害者だったと言うなら、同時に加害者だったと言うべきではないか」と、言うと彼等は沈黙してしまう。
理不尽な行動や残虐な行為をした紅衛兵は10%未満だったと自信を以って言える。勿論、学校や工場を含め、至る所「大字報」だらけで、「政治学習」が繰返され、
文革初期段階では生産活動等経済面に多大な悪影響を与えたことは間違いない。
然し、中国人はどんな境遇下にあっても、逞しく生活を楽しんでしまう、極めて楽観的な民族だなとの印象を強くした。日本人“紅衛兵”も毛沢東語録を商談の前や集会時に読んだが、「これは正しい」として、深く印象に残り、その後最近に至るまで、中国での職場での指導に引用してきた言葉がある。即ち:
1、毛主席教えて曰く、「仕事とは困難との闘争である」、従って弱音を吐くな
2、毛主席教えて曰く、「婦女子をからかってはならない」、言葉でのセクハラも
不可の意味と理解した
3、毛主席教えて曰く、「農民など大衆のものは、針一本、糸一筋であろうとも取ってはならない。戸板等借りたものは必ず返せ」、極貧状態の解放前でもこうだった。会社や公共のものを大切にせよ、贈収賄等論外と指導した。
 文革中に何度も解放軍駐屯所の見学があったが、ほとんど自給自足していた事と並んで、街中とは異なり清潔で整理整頓がきちんとされていることに感心した。特に共同洗面所で見た、各人のうがいや歯磨き用のコップが、等間隔で柄の部分の角度も一律に並んでいたのが、鮮明な記憶となっている。この件も、5S活動の指導等に利用した。
 多くの中国人は能力の高低に関係なく、強い自尊心を持っているので日本や欧米の事例で以って指導するより、中国での事例、それも特別才能の持ち主や高学歴者ではなく、中高卒業一般人の良い事例で以って指導するのが効果的である。そうでないと、心中「我々の給与は日本人の十分の一以下であり、どうして日本人並みに頑張らねばならないのか?」との反発を抱き、成果に繋がらない恐れがある。次回、もう少しモラル問題を続けよう!改革開放が始まり、80年代になり中国はどう変化し、どう対処されたのか?

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11年12月03日 17時05分18秒
Posted by: yanagizawa
この様に言うと、今では中国人もほとんど信じてくれない。1966年末から始まった  文革前の一年間、私は北京に初駐在したが、上海、広州、天津、武漢などへの出張で見聞したことも含めて、「中国は貧しいが、さすが孔子、孟子の国、道徳大国だな」と感心することが多々あった。当時日本の新聞でも「中国には泥棒とハエはいない」と報道されたほどで、ゼロではないがほとんどいなかった。
年配者に当時の状況の真偽を尋ねると、「その通りだった」と肯定する人もいるが、更に「当時はみんな貧しく、盗むものもなかったよ!」と言葉を続ける者もいる。街は何処に行っても(人民公社や工場等も)、清潔であった。更に人々の衣服も質素だが清潔だった。又、解放軍の若い兵士が老人や妊婦を助けている姿をよく見かけた。駅やバスターミナルで多かったが、街中でも見かけた。多くの人々は買い物用のナイロン糸の編袋を常時携帯していて、何か“放出”が有りそうと見ると、行列を作っていたが、列を乱す者は見かけなかった。
 一方、私は若い商社マンとして駐在していて、輸出した設備の納入技術者が帰国前にお世話になったとしてお礼の宴会を開くのを手伝ったが、年配の中国人からマナーについて教えられることも多かった。例えば、宴会主催者は早目に出向き、準備状況を確認した上で、宴会場のレストランの外で、客を待ち、終了後も、建屋の外まで見送りに出て、客の車が見えなくなるまで見送ること、酒を口にするには、必ず「xxxの為に」と言い、無言で呑んではいけないとか、料理は主人側が客側に取ってあげること等々。
 当時の日本は、高度成長時代で至るところが建設現場で、ホコリやゴミだらけ、更に日本人は“エコノミックアニマル”と言われた位、拝金主義が横行し、池田首相がフランスを訪問した時には、ドゴールより「閣下はトランジスターのセールスマンかね!?」とジョークを言われた程である。当時、電子機器の小型化に貢献したトランジスターの実用化で、日本は世界の最先端を行っていると言われた時代であった。池田首相の輸出振興等で「5年で所得を倍増する」との公約は繰り上げ達成し、更に数年後には日本の農家の方々が大挙して海外旅行に出かけ、欧米人を驚かせた時代でもあった。
 経済発展に反比例するかの如くモラルレベルが下降してしまった最近の中国ではあるが、以上の如き時代があったことを強調して、日系企業では自社工場内だけでもモラ回復に努めたいものである。尚、当時の中国は大躍進政策が失敗し(連続して発生した大規模自然災害と相俟って)、人々は塗炭の苦しみの中にあったのを教訓として、自留地(農民が自由に耕作できる農地)を認めるなど、調整策を実施した時代で、人々も将来に対して夢を持っていた時代であった。文革が始まってもモラルレベルはあまり低下しなかったが、その状況は次回に紹介しよう。

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