予算責任のない仕事なんて仕事ではないと思います。
やってもやらなくても同じ。

評価する側も達成数字ではなく、予算を何とか達成させようとする姿勢の有無で評価されてはと思います。

どうも昔のようには行かなくなり、予算の意識が薄れているような気がします。
誰かがやるだろう、予算が行かなくてもまぁしようがないかといった雰囲気を感じます。

自分が担当する部署が予算が行かないとなると、何らかの企画を売って数字を作ろうとするのが普通です。それも予算が行くかどうかは3ヶ月前から予測できるはずです。

上からの指示で、このままだと予算は行かないと思うので企画を考えなさいと言われるのは本当は情けない話です。

予算は実際行かなくても企画をたくさん上げて、何とかしようという姿勢が欲しいです。でもそのような社員がいないとか、少ないと嘆いておられる経営者の方が多いです。

いつからそうなったのでしょうか?
大手企業に勤められた方ならご理解いただけると思います。予算会議は一番嫌な会議。詰めて詰めて詰められて、最後には行かないような数字に返事をしてしまいます。

あの雰囲気だけは勘弁して欲しいと思われた方も多いと思います。
しかし、あの会議の中で、予算を詰めるという文化はどこから生まれたのでしょう。

会社や組織を守るため、あるいは自分や仲間の給料を守り、成長させるためには必須のものになっています。

トップが声をかけるのではなく、文化です。
部課長クラスの方が一人一人責任感を持って数字を積み上げる。誤差はほとんどない。そんな予算のあり方が理想です。

仕事に対する責任感のない方に予算を付ける方が間違いなのかも?

予算は絶対やらないといけないんだ!という文化をどうやって作っていくか、それが会社のあり方の中で大切なことだと思います。

個人企業から組織への脱皮はこの点が鍵です。
結局、厳しい予算会議を行っているところが業績は順調なようです。