「これは、いいよ。熊さん」
「えっ?本当にいいんですかい」
「ああ、これはいいね」
「てえことは、本当はだめなんですかい?」
「よく、わかるね。そう、本当はだめ」
「???」
「熊さんの見つけてきたこの物件ね、立地は申し分ない」
「それで、どこが問題なんですかい」
「商売ですよ」
「ショーバイ?ショーバイってなんですか?リッチじゃあないですよね。コンタンでもない」
「商売、つまり熊さんがやろうとしていることですよ。何をどうやって売ろうとするかですよ」
「ああ、そりゃあ簡単です。ラーメン作るんなら、誰でもちょっと習えばできるんですよ」
「そうですよ。特に熊さんのように手先の器用な人だったらすぐに覚えられますよ。それはあたしが保証する」
「じゃあ、うまくいくじゃありませんか」
「だから、心配なんですよ」
「はあ?」
「またまた熊さんは困ったものだねえ」
「あたしがラーメン作ると困ることでもあるんですかい?」
「熊さんがラーメン作るのはいいんです。それに立地もよい。駅から近いし、人々の動線もある。店の近くには、多くの人々が集まる施設もある。間口も狭くはない。家賃条件もまずまずですよ」
「何も問題はないと思うんですがね」
「ちゃんと見てきたんですかい?熊さん」
「いやあ、今度ばかりは万全ですよ。店の回りは隈なく見てきました」
「で、どうでした?」
「どうでしたって、どうってことありませんよ」
「それじゃあ、わかりません。例えば、他のラーメン店はどうでした?」
「そうですね、けっこうヒマそうでしたね」
「つまりそれは、お客さんが入ってないということ?」
「ええ、まあ。でも忙しそうな店もありましたよ」
「ところで、熊さんがラーメン屋を始めたいというお店は、以前は何のお店だったの?」
「同じくラーメン屋だそうです」
「ということは、そのラーメン屋は店をたたんだっていうこと?」
「そうなんですよ。でもね、不動産屋の藤が言うには、そりゃあとんでもないラーメン売ってたそうですよ。ゴキブリが入ってるって苦情が日常茶飯事だったということですよ」
「だから、熊さんがやれば儲かること請け合いだとかなんとか言ったんでしょ」
「へい、まったくその通りで」
「これだよ…。それで藤さんは、その前の店の売上をちゃんと話してくれたんですか?」
「それは・・、どうだったか・・」
「でしょうね。その店も最初から売れなかったんでしょうね。あたしは断言できます」
「てえことは、最初からゴキブリ入れてたんで・・」
「そんなことはないでしょ。最初は熊さんと同じで、真面目な人だったんでしょうね。でもうまくいかなかった」
「で、あたしもうまくいかない・・と」
「ええ、そうですよ」
「ええっ、うまくいかないんですかい?」
「商売が良くないからね」
「ショーバイ?」
「熊さんが見てきたラーメン店の100メートル周辺に、大小合わせて10軒以上のラーメン屋があるでしょ。これに中華料理店や点心を売る店を含めたらもっとになるでしょうね。熊さんはこの中で何を売るんですかい?」
「へえ、ラーメンです」
「答えになってませんよ。ラーメン店がたくさんある中で、またラーメン店を出しても誰も来てくれませんよ」
「へい、そりゃあわかってます。ですから、旨いラーメンを売るんです」
「でも、ほかの店は旨いラーメンを売ってないの?」
「まあ、そこそこですね。あたしは、旨いとは思いませんが…。まあ、中にはこりゃあちょっといいかなという店もあることにはある・・」
「何ごちゃごちゃ言ってるんだか。いいですかい。あたしは熊さんがラーメンを売ることに反対しているんじゃありませんよ。でもね、熊さんは、どんなラーメンを作ろうとしてるの?熊さんが旨いというラーメンは、どんなラーメンなの?これが知りたいの」
「よく、わかんねえなー。ラーメンはラーメンなんだけどなあ」
「ああ、これだから…。おやめなさい。商売が成り立ちませんよ。熊さん自身が、ラーメンはラーメンだとしか思っていないなら、どんなに立地が良くてもうまくいきません。それにね熊さん、・・おっとどこ行くの?」

【解説】
熊さんは、今回しっかり自分で立地調査をして、自信たっぷりだった。しかし、商売が悪いと言われてしまった。
実は、ビジネスを始める際に、立地調査以前のことが後で問題になっていくことは、あまり知られていない。個人も大手企業の場合もである。
「ラーメンならうまくいく」「飲食店なら手堅い」「ニュービジネスだから大丈夫」「今ならマルチメディアだ」「いや環境ビジネスだ、高齢者ビジネスだ」・・。これが最初の根拠だが、そこには理由が見えていない。
大方は、儲けること、儲かることばかりに目がいく。そのために「なぜその商売が儲かるのか、なぜその商売なら人々が来店してくれるのか」についての視点が欠け落ちている。
大抵の場合、これが商売を短命にしてしまっている。ラーメンがうまくいくのは、ラーメンそのものの味がいいから、特徴があるから、売り方に「○○らしさ」があるから等々のことについて、多くの人が共感しているからである。
例えば「○○産の××小麦を使った麺を、△△味のスープで食べてもらいたい」「当店では○○という食べ方や、△△という店作りをしている」という出発点がしっかりしていないと人々の共感を呼ぶことはできず、商売を始める前提がないことになる。あやふやな出発点では、どんな立地も活きるわけがない。
競合の激しい昨今はなおさらである。出発点のしっかりしない「お手軽商売」にどんなに熊さんが飛びついても、長屋のおやじさんの了解は得られない。

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