「格物致知」についてweb上で調べると、「明代中葉の王守仁(王陽明、1472~1528)は、「格物」は外在的な物に至るというものではなく、格を「正(ただす)」として、自己の心に内在する事物を修正していくこととし、「致知」とは先天的な道徳知である良知を遮られることなく発揮する「致良知」だとした」とありました。
では、「先天的な道徳知である良知」とはなんでしょうか?
「見返りを求めず、何かのために何かしてあげたい」という欲求ではないかと思っています。
これは、前世療法体験でも申し上げましたが、前世療法で退行催眠を受けているとき自分の大きな光の玉に出会い、その中に入りました。その大きな光の玉は、実は小さな光の玉の集まりであり、その光の玉から感じるのは「何かの役に立ちたい」という意志だけであった。